他人の芝生はゴールデン

隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。 出エジプト記 20:17

人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。 マタイによる福音書 27:18  引用はいずれも新共同訳

さまざまな人の相談を受けていると、相談を受けているこのわたし自身も含めて、どうしても避けられない問題があることがわかる。他人との比較、これである。

はっきりと「〇〇のことが羨ましい」とか「なぜ〇〇はあれほどで、自分はこんなに惨めなのか」と訴える人もいる一方で、直接はそういうことを言わないにせよ、他者との比較をめぐる、深い苦しみが発見されることもある。機能不全の家庭で育たざるを得なかった人が、サザエさんのような家庭で育った人の健やかな笑顔に苦しんだりすることもある。

冒頭の聖書の箇所、出エジプト記20章17節は、「十戒」と呼ばれて有名な神の十の戒めの、その結びの部分である。戒めの最後が、不倫も含めて他人に属する人や物を欲望することへの警告になっているのは興味深い。人間への戒めをたった十個にまとめあげるのだから、そこで禁じられている行為はよほど究極のことがらである。その究極のことがらの、しかも結びが、他人の妻や、他人の財産を欲しがるなという戒めとなっているということ。羨望や妬みをはじめとした他者との比較の苦しみ、それらは「人は人、自分は自分」や「人それぞれ」といった言葉では片付けられず、納得のできない、根の深い問題であることが伝わってくる。

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