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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2019年7月の記事一覧

奇跡ではなく言葉がけ

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられ…

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頼る作法を知らないと、苦しくなる

また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることの…

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責任をとらずに責任をとる

藤藪庸一『あなたを諦めない 自殺救済の現場から』(いのちのことば社)を読んでいた。読みな…

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誰と何を分かちあうか

さまざまな宗教的背景がある人たちの集まる宴会に行ってきた。こういう会合に行くと毎回実感す…

「やれやれ」と呼びかけに応じ

わたしは礼拝出席者数が10人程度の、小さな教会で牧師をしている。礼拝堂も一戸建ての民家のよ…

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怒りが美味しく発酵する

だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなけれ…

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じゃがいも

このマガジンでも何度か言及したことであるが、わたしは以前の任地で、さまざまな生き物と共に暮らしていた。牧師館が旧かったので、扉や窓の隙間から、アカテガニやフナムシが自由に出入りしていたし、書斎の所定の場所、所定の時間には必ずアシダカグモが姿を現した。ビーズのように光る八つの眼が、わたしを見つめているように感じられたものである。わたしもクモを見つめ、「こんばんは」と挨拶して仕事をした。だいぶ寒くなったある日、脚が五本ほどに減ってしまったクモが、ゆっくり、ゆっくりと壁を歩き、やが

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不幸の主語

不幸は、主語が自分なのか他人なのかで意味が違う。もちろん親しい人の嘆きを聴くとき、それを…

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こころやさしき悪役

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 すると、ファリサイ派の人々や律…

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対話

八木雄二『神の三位一体が人権を生んだ』を読み、ソクラテスの優しさみたいなものが見えた。良…

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