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夢分析

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2015年11月の記事一覧

夢日記20151101

夢のなかで、ぼくは、大衆酒場とでもいうような飲み屋で瓶ビールを頼んだ。冷えたビールのなんと美味いことよ…気を良くしたぼくは焼き鳥の盛り合わせを一人前注文する…その店では子どもたちが何やら鳥の巣箱のような木箱の穴の中に何かを投げ入れるゲームに興じていた。ぼくは折れたチョークのようなものを自分の席から投げて、みごとその穴に命中させた。拍手喝采、と思いきや、ひとりの子どもの親が出てきて冷淡な顔で「あんた

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夢と妄想

かつて中井久夫は、統合失調症の患者が、あれほどの苦悩を抱えているのになぜ夢を見ないのか、と疑問を呈した。そして同様に、なぜ心身症の症状が現れないのか、と。

さらに中井は、患者が寛解へと至る関門である臨界期において、妄想が「夢に還っていく」と言った。同時に様々な心身症の症状が現れることを見出した。

つまり、患者が抱える深刻な葛藤は、急性期において観念(妄想・幻覚)にその吐け口を見出すのだ、という

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夢と日常。そして非日常。

夢の中で、例えば外国人で賑わう観光地の風景を見たとしよう。彼らは、その街の名所旧跡よりも人々の暮らしに、あるいは民宿のような宿泊施設に興味があるようだ。あるいはその街の商店街で催されるイベントがその夢のあとに続いたとしよう。多くの人たちが行き交い談笑し、たくさんのものが売れるのだ。あなたはまるで幽霊か何かのようにその街の道を漂い歩き、賑わいを見て回る。
なぜあなたはこんな夢を見たのだろうか。その

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連続夢

その夢は全く初めて見た夢なのだが、以前みた夢と舞台が同じようだった。以前見たとき、その舞台となっている街は至るところ工事中で、夜が明ける気配がなかった。さらにその1年ほど前だろうか、同じ街が夢に現れたことがある。その時ぼくは生まれたばかりの仔猫を胸に抱えるようにして、アスファルトが掘り返された、工事中の暗い道路を渡っていった。夢にも連続ドラマならぬ連続夢があるのだろうか…終わりのない工事がいつまで

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