夢と日常。そして非日常。

夢の中で、例えば外国人で賑わう観光地の風景を見たとしよう。彼らは、その街の名所旧跡よりも人々の暮らしに、あるいは民宿のような宿泊施設に興味があるようだ。あるいはその街の商店街で催されるイベントがその夢のあとに続いたとしよう。多くの人たちが行き交い談笑し、たくさんのものが売れるのだ。あなたはまるで幽霊か何かのようにその街の道を漂い歩き、賑わいを見て回る。
なぜあなたはこんな夢を見たのだろうか。その謎を解くためには、前日の出来事や印象や思考について、丹念に思い返してみる必要がある。するとすっかり忘れていたが、ある新聞で、外国人で賑わう小さな地方都市の囲み記事を読んだことを思い起こすだろう。あるいは勤め先からの帰り道で、とある商店街を通り抜けた時に目にした光景を思い起こす。その路地裏の商店街の中ほどにある八百屋の主人が言葉巧みに常連客に、今日仕入れた野菜や果物の新鮮さをアピールしている。常連客たちは、またはじまったわ、とばかりににやにやしながらその口上を聞いている。それは毎日お馴染みの光景なのだろう、とあなたは感じ、楽しそうでいいな、とふと思う。
夢は、たいていそんな日常の出来事や印象や思考のコラージュで出来上がっている。しかし…
その街で突然雷雨があったとしてみる。落雷につぐ落雷。人々は慌てて店じまいをし、小走りに家路につく。見たこともないような激しい雨。あなたは、やはり幽霊のように道を漂い歩きながら、目の前の水たまりが落雷によって一瞬で蒸発するのを見る。恐怖とも快感ともつかない感情を伴いつつ。そして、空を縦横に走る稲妻に恍惚とした感覚を覚えるのだ。するとあなたは、とある家の中にいることに気づく。あなたの家だ。あなたは幽霊ではなく、人々と同じ、その街の住人だったのだ。
その雷雨は、前日の日常の出来事のどこを見回しても実際にあったこととは言えない。だからその夢の像は前日の印象や思考とは無関係である。前日は快晴であったし、真冬のような寒さで、夏の夕立とは無縁の天候だったのだから。
その雷雨は、あなたの内臓の奥深くから立ち昇ってきたものである。日常夢とは出自が異なる、何か遠い遠い時間の彼方からやってきたような印象を伴っているはずだ。あなたの内なる何かがその夢の中で死に、何かが新しく生まれ変わったのだ。夏の激しい雷雨の後、淀んだ熱気が洗い流され、空に虹が架かるように。

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