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『文にあたる』牟田都子

「その本、手に取ると思ったんだよね」
先日、とある本屋のご店主に言われた。
信頼する本屋さんで本を買うことは私にとって大切なことだ。本は何億万冊以上ある。毎日新刊も何十タイトルも入荷するので、読むべき本たちの情報が埋もれて過ぎてしまう。
人生で読める本の数は限られているので、ピンときた本はお財布と相談して買うようにはしているが、それでも見逃してしまうことが少なくない。
そういう時の、信頼する本屋さんである。
棚を物色すると、「この本読みたいな〜と思ってた」とか「わたしはなぜ今までこの本の存在を見逃していたのだろう」という本に出会える。本当にありがたいと思う。そういえばおすすめされた文庫があったのだと書いていて思い出した。今度注文しよう。

今回の本もそういう出会いで見つけた本である。ちょうど『本を贈る』(三輪舎)を読んでいたのと、確か校正、校閲のドキュメンタリー番組を見ていたのだった。本を買ってから展示の準備などで追われていて随分と経ってしまった。

さて、そろそろ感想を。
この本を読んで最初に感じたのは「自分がいかに知らない言葉の多いことか」だった。証左、悪筆、柿(こけら)など。わたしが無知なだけかもしれないが…この本を通して日本語を学ぶことが出来ると思った。

次に、きゅんときたことがあって。それはわたしが好きな小説の校正についてや、そこから感じた人生観を書いている章があったことだ。その章で牟田さんが書いていた考え方にとても共感して、そこだけ何回か読み返した。
そのわたしの好きな小説のゲラはどのように校正したのだろうか。気になて仕方がない。

感銘を受けたところは、本には絶対的な信頼があって、「本は人より長く生きる」ということ。少し意味は違うかもしれないが、ロングセラーの絵本も絶対的な信頼があるから読みつがれているわけで。そして、わたしも絵本を出版させていただいた身なので、この絵本が長く読まれて、そして古書として流通して、末長く生きてほしいと思う。わたしの代わりに。

読み終わってこのタイトルにも納得した。校正、校閲の仕事はなんて大変な仕事なんだろうと改めて感じたし、わたしも絵本を作っている人間としてもっと言葉を勉強していかなければと感じた。

この本は主に電車の中で読んだが、最後の章だけは自宅でショートケーキを食べながら読んだ。いつもは好きなものは最初に食べる性分だったが、今回は読み終わって最後に食べた。ちょっと酸っぱい苺だった。これも良い思い出だ。

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