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観劇メモ:宙組『カルト・ワイン』

感想:「ちょっと!みんな!! 見て損はない、見たほうがいいよ!!」
※主語大きめ。

誤解を恐れずに言えば、観劇前の期待値は低かったんです。
チケットを手配する際も「1回見られればいいかなー」って。
だって、解説見ても題材をとってみても、なんだか重たそうな気配しかしない。
最近の自分のテンション的に、ハッピーだったり楽しかったりする後味の作品が見たい。例えば同じ禁酒法を扱うなら、ワンスじゃなくてナイワが見たい、そんな感じ。夢千鳥とかHSHみたいな重めトーンのお話は、1回見られればいいかなー、って。外箱だと切り替えてたっぷりとショーを観たら帳消し!とはならないので、だから自衛しとこかな、って。

ところが初観劇にして追いチケをキメまくる友人の感想と、それに追随して沈んでいく友人たちに、「あれれぇ?」となり。実際に見た結果、「違ったー!!!」となりました。

いや、題材自体はやっぱり重い。最貧国で生き抜くこと、不法移民、そこに伴う危険。ようやく抜け出したと思えば、夢の国にあるのは移民に対する根強い差別感情。抜け出せない貧困と、そこからの脱出。モノに、ヒトに価値をつけるものは誰なのか。他にも、大切なものの死や、貧しさゆえに病気に苦しみ続ける子ども、そもそもメインテーマは犯罪、なんてところも。それらを描きこみながら、最終的に前向きな気持ちで終えられる作品って、そんなのあり得るんだ!!という喜びのスキップを踏みながら帰ってきました。

あと10回くらい見たいですが、配信の日もたぶん見られないので以下、感想メモ。思いっきりネタバレしています。


カミロ・ブランコというワイン界の時代の寵児となった男が、いかにその道をつかみ、そしてそこから転落したか。成り上がり成功譚ではなく、そこから凋落するところまでを最初に開示し描いたストーリーで、なのにその終わり、囚人エンドがこんなにもハッピーに見えるとは!! 驚きに満ち溢れた演目でした。

ホンジュラス――国民の半数以上が貧困にある、中南米でも最貧国に生まれたシエロ。両親もない彼が生きるために選んだのは、ギャング(マラス)の一員となること。選んだ、というよりも、それしか生きる道がなかったからそうしただけに過ぎない選択に見える。もっといえば、生きることさえも積極的に選んでそうしている訳ではなかったかもしれない。

そんな彼にとっての、恐らく唯一信じるに値するものが、幼馴染のフリオとその家族。彼の味方である、と、何の利もなく示してくれる存在。その唯一無二の存在を自らの手で殺してくるよう、ギャングの上司からの指示を受ける。それはきっと、シエロの覚悟がまったく決まっていないことを最初から見抜いていてのもの。中途半端なところにいないで、さっさと堕ちてこい、ってことなんだろうな。でもそれをきっかけに、シエロはようやく自分で選ぶ。唯一無二を、人を殺すことはできない。でも自分が死ぬのでもなく、彼らとともにアメリカという別天地へと逃げ出すことを決める。

全然関係ないのだけれど、マラス(ギャング)が「税」といって徴収しているところが、あまりホンジュラスを知らなくても「ヤベーな-」という感じにわからせてくる感があったな。みかじめ料とかじゃなくて、税という表現で。


別天地への旅は、凄まじく過酷。この辺までのストーリは、『闇の列車、光の旅』を思い出す。人一人を殺してようやく本物のギャング、みたいな現地事情から、列車強盗の様子なんかも含めて。そして濁流のシーンは、リオ・グランデ川で実際にあったいくつもの事件を。これらの現実を描くためにこそ、カルト・ワインはホンジュラスから始まったのかもしれないなぁ。

苦難を超え、大切なものを失い、それでもようやくたどり着いた新天地。を、表現する光の演出。オペラ越しにボロボロ泣きながら、でもその表現の見事さに圧倒されました。このあたり、夢千鳥でも思ったのだけれど、完全なる暗転をあまりせずに場面を移り変えていく手腕がお見事でした。大劇場で盆回り他あれこれ舞台機構を駆使したバージョンも見てみたい!


アメリカパート。

屋台の店長との場面で、ようやく緊張が解ける。「あれ、これ、シリアスなまんま最後まで行くヤツじゃなくて、笑っていいヤツなんだな……?」と。コミカルで、可愛らしくて、正反対だけどバディで、そもそも若い青年であるところのシエロとフリオが見えてくるのがいい。わたしが見た回では普通に豆缶拾ってたけど、いまあそこでアドリブ祭が始まっているらしくて、見た過ぎる……。

正しき成功者・カルロスと、見てからに怪しげな成功者・チャポの対比。そしてシエロの「才能」の開花。シエロとフリオが道を違える時。この辺の演出がまた楽しい。あのワイン錬金術の表現とか!


二幕、再びオークショニアから幕開け。

物語全体を俯瞰するかのようなオークショニア。このメタ存在、配されたことで我々の物語への加わり方が凄くスムーズ。案内人であり、それでいて物語全体を支配する存在でもある感じ。
人の顔の判別が非常に苦手なので、これは終演後に確認して「やっぱり」と思った話でしかないのですが、ワイン錬金術のシーンで最後のピースとなったソイ・ソースであるところの存在も風色さん。シエロの転機の大きなきっかけを作り出す。
で、二幕で再びオークショニアに戻る。そしてオークションを仕切る、ように見せて、物語からは常にどこか浮いた存在。

いやぁ、演出もあってでしょうが、めちゃくちゃ面白いお役を演じてらした。
二幕の幕開けの語り、日によってアドリブを入れたりしているらしくて、学年に応じてない存在感と度胸にしみじみとビックリしてしまうな。

グランピーガイズ。
本来小難しく「おべんきょう」になりそうなワインのそれぞれがどれだけの価値があり、どれだけ凄いかをわかりやすくボクシングスタイルで表現。コミカルで、でもワインを知らないままでも十分に理解が可能でありがたかったです。「何言ってるのかわかんねー」で終わらない演出。

車の中。
ここの会話で、現在のカミロ――シエロがどういった位置づけか、が明確になる感じ。稼ぎ頭ではあっても、あくまで雇われ者でチャポの手のひらの上にある存在。自分自身も所詮はチャポの犬であることを自嘲してみせる(冗談交じりにいう)くらいには、その自覚がある。ということがわかる。

出品依頼。
ある意味でここもシエロの才能を示しているなぁ、と。彼は舌がいいだけでなく、ワインの銘柄や土地年代といった知識を詰め込めるほどには頭脳も素晴らしい。そしてその頭脳、記憶力は、例えばかれが自身の経歴を偽って語る際、かつて自分の師となったアマンダの来歴をパッとなぞって見せる程の精度である、という。

このシーンの、マネキン、からの紳士が凄い好きです。ストップモーションではなく、動かぬものであるマネキン表現。秋奈さんの立ち姿があんまりにも衝撃的で、ついオペラ当てっぱなしにしてしまったな……。


フリオとアマンダの再登場。
からの終わりに向けて。

十年の月日が過ぎ、順当に真面目に努力し続けてそれが認められつつあるフリオと、フリオにプロポーズされて保留しているアマンダ。その二人との再会が、ある意味で破滅の前哨。

シエロ。無償の愛で大事にされた経験が少ない分、自分も他人も大事に仕方がわからなくて、でも誰か(数少ないそれを与えてくれたフリオたち)をなぞって時に大事なフリをしている感じがするのがいい。人の気持ちがよくわからないから、その場のとっさの対応とはいえアマンダにキスしちゃうし、そもそもモニカの手術費のために身を落としたこと、自己犠牲を犠牲とも思っていなそう、みたいなキャラクターで描かれているところが。基本的に嘘が多い感じ。

自分が他人に関心がない分、自分の行動がアマンダに、そしてフリオの気持ちにどれだけ影響を及ぼすかとか、全然考えてないんだろうな、きっと、みたいな印象。そういった見えない部分での自分の価値を認めていない。だから夢も持てない。唯一の自分の絶対的な価値は舌、以上。

この先の展開、友達と意見が割れたんだけど、どっちもありそうだなーと思ったのが誰が「終わり」の道を引いた、きっかけを作ったのかについて。

わたしはシエロかな、って思っていて、フリオに説得されたときに「自分の終わりは自分で決める」みたいなことを言っていたのが一つのフック。で、再会をきっかけに「終わり」を始めたのかな、と。ないはずの年代のワインを作るなどすることで、この大がかりな「嘘」が露見するように。そうして露見した後、チャポの存在を司法取引含めて絶対に言わなかったことにより、勝手に終えたこと(はきっとバレている)を見逃してもらったのかな、と。その先も、出所するその日まできっと誰かしらに見張られはするのだろうけれど、でもある程度稼がせてもらったし、大きくしすぎたシノギはいつかは終わるという見切りも付け、チャポも見逃したのかな、と。

友人はチャポが線を引いた、って考えていて、シエロの経歴がバレたことをきっかけに、損切りしたんじゃない?と。たしかにシエロの独断で作るワインをそこまで決められたか、というか、シエロがそんな調べたらわかるようなミスを仕込んでいたら即刻バレただろうから難しいはずだよな。シエロが法廷でチャポについて話さないのは、フリオの存在がある種の人質になっているから。そもそもシエロを使うようになったきっかけはフリオの妹のモニカだし、彼女が手術をしていること、どうやって生きているかなんて速攻調べただろう。そしてレストランに戻れ、と言っている時点で、その後も職場を変えていない時点で、フリオの行先も簡単に押さえられる。もしチャポを売ろうものなら、きっとフリオたちの命が奪われるような脅しを受けてたんじゃない?と。なるほど。

どっちもありそうだなー。でも私は1回しか見ていなくてあれこれ見落としているだろうし、一方、友人はすでに7杯とか見てるから、友人説の方が有力な気がする。どっちかわからないけれど、どっちとも取れるけれど、そういう考察をしたくなる余地があるあたり、書き込みの量が適切でアレコレを想像させるお見事さは、実に脚本と演出の凄みだなぁ、と思いました。


物語の終わり。
誕生日+95なんて囚人番号を付けている時点で、「なにあれー、かわいいい」ってなったりもしてますが、それは置いてもこの終わり方が本当に良かったです。

もしより「宝塚」的にするんなら、瑠風さんのお役はヒロインが担うんだろうな。幼い頃からの唯一。彼女の心臓の手術のためにシエロは悪の道を歩むことを選び、別れを決める。けれど再会し自分を探し待ち続けていてくれたことをきっかけに、ワイン偽造から手を引くことを決意し――みたいな。
全然それでも成立するっちゃする。でも、このヒロインポジを男性が担ったことで、物語の面白さは断然増した気がする。そして幾人もが熱狂に沈んでいく作品になった気がする。

フリオが情報提供し、その結果逮捕されたわけだけれど、ものすごくさっぱりした表情で面会の席につくシエロは、フリオが友人だったからこそだな、と思うなど。あれが恋愛関係にあったなら、例えばワンスでキャロルがマックスを通報しちゃうみたいな感じになるのよね、関係性として。たぶんその後の二人の関係は、明るいものになりにくそうだなぁと思うなど。

もしシエロがアマンダにキスしていなかったら? そもそもアマンダがシエロと再会せず、フリオのプロポーズを受け入れていたら、そしたらあんなに明るい終わりにならなかっただろうなー。フリオ、絶対南の島一緒に行ってくれないもん、そうなってたら。家族できちゃったら、あんなに地に足着いた子は捨てられないだろう。で、出所のタイミングでお金は届けに来てくれるだろうけど、南の島に一緒には行ってくれなそう。そんで永遠にシエロを売ったという罪悪感引きずりそう。

などと未来まで想像を巡らせてしまうような余韻含めて、めちゃくちゃ面白かったでした。

ああ、配信見たいよ――う!仕事なんとかなりますように!!
あと円盤お願いします!!!
そして栗田先生、他の組でも当て書き作品お願いします!