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言葉の責任を放棄する_100日後にZINEをつくる、66日目

哲学対話が苦手だった。
苦手とは少し違うかもしれない。自分の中で「どう楽しめばいいのか」を微妙に掴み損ねていたため、安心できる参加者とでなきゃ楽しむことができないでいた。

しかし、それが本当に『哲学対話』なのだろうかという疑問がガムのようにひっついていたため、「哲学対話は楽しいよ!」と堂々と言えない自分であった。

哲学対話とは、みんなが自由に考えること、一緒にいることがができる場を作るための一つの方法です。

https://peatix.com/event/3799307/view

哲学対話は、答えが一つに定まらないような哲学的な問いに対して、対話を通して考え続けることを目的とした実践です。

https://www.kyobun.co.jp/article/p20230731

「哲学対話」とは、哲学的に対話し、それにより参加者が相互に学びを得る実践のことです。「哲学的に」とは、過去の哲学者の学説を知識として知っているということではありません。哲学の本質は、何かを知っていることでは決してありません。それは、一つの問いについて深く考える態度のことです。「哲学」とは、「深く考える」という動詞を名詞化したものなのです。

https://www.sentankyo.jp/articles/668b1c7d-b227-4330-9385-bdfe2007f3b5


「哲学対話とは」について調べてみると、一緒にいる・対話する・相互に学びを得る、というキーワードが出てくる。
対話ができることや、深く考えるための大前提として「安心してその場にいること」が必要になる。

わたしにとっては、この実践こそハードルが高かった。

しかし昨日遊んだ哲学対話で、はじめて自分が「安心してここにいる」状態をつかんだ。

今までと何が違ったのか。

ルール説明の際に、"昨日UFOにさらわれたんですけどね、"など「嘘を言ってもいいんですよ」というガイダンスが丁寧になされた。

それを聞きながら、はたと思う。
参加者全員がこのルールを共有しているということは、わたしの言葉も嘘として受け取られるかもしれないし、相手の発言の意図をわたしが汲み取る必要はない。

相手をわかろうとしなくていいし、相手にわかってもらわなくていいのかもしれない。

コミュニケーションとしての対話

普段のコミュニケーションにおいては、お互いが使っている言葉の意味や定義のすり合わせは重要だ。
これがずれると話がかみ合わなかったり、伝えていないことを受け取られたり、褒めているつもりなのに相手を怒らせてしまったりする。

そのため「わたしは○○という意味でこの言葉を使ってるよ」「あなたの言う△△は××の意味で合ってる?」という相互の認識のすり合わせが円滑なコミュニケーションにはかかせない。

「この人は何を伝えたいんだろうか」
「わたしの言いたいことがちゃんと伝わっているだろうか」

大人になるにつれて、人と接する時には自動でこの確認作業のスイッチが押されるようになり、交友関係はもちろん、仕事をする上でもこのボタンを押せることは強みにもなる。

深く考えるための対話

しかし、哲学対話においてはどうだろう。

「間違った受け取られ方をしてほしくない」とか「誤解なく受け取りたい」という気持ちが出てくると、心は相手を読むことに忙しくなってしまい、深く考えることは不可能になる。
相手の反応をみて「場」にウケそうな言葉を提示したり、相手に明後日の方向の解釈をされると不快になったりする。

しかし、それに夢中になると「自分との対話」はなりたたない。

誤解を恐れずに言おう。

口を閉じていれば相手の話を聞かなくてもいいし、わたしの言葉を聞いてもらう必要もない。
誰かを傷つけるための言葉でなければ、言葉に対しての責任を放棄してよい。

ここに思い至ることではじめて、のびのびと、無責任に、自分の思考をぐるぐるかき回すことができた。

ぐるぐるかきまぜて遊ぶ

通常、人の思考はドレッシングのように分離した状態で「頭」という容器に入っている。
「聞かなくてもいいし、聞いてもらわなくていい」を実践して対話すると、ドレッシングを振った後のように沈殿していたものが頭をめぐるようになる。

哲学対話。
10人で行えば、ひとつの問いは10この問いに増える。
みんなで同じ1つの問いを考える必要はない。

ただ他人と向き合って、自分から湧いてくる言葉と遊べばよかったのか。

「人の話を聞こう、自分の話もちゃんと聞いてもらおう」という社会性のスイッチを強制的にOFFにしていい場所、それが『哲学対話』。
共感的コミュニケーションを手放しても共に一緒にいられる場、それが『哲学対話』。

いつもすばらしい対話の場をつくり上げてくれる友人に感謝感謝!

似ているようでみんな違う、みんな違うものを見てる

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