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息子、言葉狩り星人になる。_100日後にZINEをつくる、79日目

こんなことがあった。

子どもたちと、ドッキリ番組を観ていた。
男性芸人と女性俳優が仕事中に、スタジオで停電が起きる。怯える女性に寄り添われ、芸人がウハウハしているところで電気がつけば、密着していたのは、じゃーん!男性ADでした!という、面白ポイントのわかりにくいドッキリ。

突然の停電により、「こわい」としがみつかれた芸人。女性だと思っている相手の手を握りしめる際、5本の指をからめて<お姫様つなぎ>をした。あわよくばそこからキスへと持ち込もうとする芸人の動きもひっくるめて、スタジオで観ていた女性タレントが「げー!無理ー!きもいー!」と反応している。長女も「きもっ」とつぶやき、次女も「ないわー」。
とはいえ、芸人が抱きしめているのは男性AD。ドッキリだと告げられて「なんだよ!くそー!」と悔しがるところまで含めて、ハハハ~と笑って次のお題にうつる。

気づくと、食事中の息子が顔を下に向けてしくしく泣いている。
どうしたというのか。

「なんで『きもい』って言うの?テレビの中の人にだって『きもい』って言ったらだめなんでしょ。なんでママは長女、次女に注意しないで笑ってたの?」

長女がすかさず怒り出す。
「はあ?あんたに言ってないじゃん。きもいって思ったから言っただけだよ」

「心の中で『きもい』って思ったって、口に出したらだめなんだよ!!」
と怒り返す息子。

息子は8才。「下品=面白い」の真っ盛り。
思春期の姉たちの前でそういったふざけ方をすると「やめて、きもい!」と言われたり、お風呂上がりの脱衣所にうっかり入ろうものなら「見ないで!きもい」と言われる。
『きもい』という言葉を投げつけられることが多くなると、友達とのコミュニケーションでもその言葉を使うことも増え、『きもい』に傷つき、『きもい』で傷つけるようになった。

長女と息子の口論を聞きながら、『きもい』は息子の中でかなりセンシティブな単語であったことを思い出す。

その日の後悔や不安を、電気が消された布団の中で話すことが多い息子。
以前「友達にふざけて『きもい』って言っちゃった」と懺悔され、「なにかに対して君が何を思うのかは自由。でも、口に出したら相手が傷つく言葉は言わない方がいいね。」と話をしたことがあった。

そのことを覚えていて、しきりに「『きもい』は口に出したらだめなのに、注意しないママはおかしい!」と主張する息子。
「バラエティ観て笑ってる私に水を差すようなこと言うな」と怒る長女。

長女の言い分はとてもよくわかる。
しかしわたし自身、夫がテレビの中の人に対して吐く暴言を不快に感じることが多い。自分に投げられてる言葉じゃないと理解していても、だ。
息子にそれを味わわせてしまったのかもしれない。

長女、次女に提案する。
「家族の中に「その言葉はイヤだ!」って感じてる人がいる以上、『きもい』以外の言葉で不快を表明するように努力しましょう。わたしたち、息子より年上だし、語彙はあるはず。」
息子に「軽率でごめんね」と謝る。

納得のいかない長女は「なんなの?私が責められてる感じがして超むかつくんだけど。」と最後までご立腹。


また、こんなこともあった。

駄菓子屋でもらったお菓子の当たり券をトイカプセルの中に隠し、そのお宝が姉たちに狙われているという妄想に憑りつかれた息子。
お風呂に入る前にキッチンのかごにカプセルを隠す。
「ここにあること絶対に言わないでね」と釘をさして風呂に入る。

息子と入れ替わりで入浴して戻ると、次女と息子が言い争いの真っ最中。
きけば、風呂から出た息子は真っ先にカプセルを確認しに行き「なんか開いてる!」「とろうとしたでしょ!」と次女に言いがかりをつけた。
次女が「うざい」と返したところから、「『うざい』って言ったらだめなんだよ!」「そっちが濡れ衣きせようとしてきたんでしょ!!」の口ゲンカに発展。
この家は常にうるさい。

息子が『うざい』と言われた苦しみを訴え、次女を怒ってほしいと詰め寄るので、「いやいや、君がいきなり人のせいにするからでしょ」と伝えても、「どんな理由でも『うざい』って言葉はだめじゃん!!だめな言葉はだめじゃん!!」の一点張り。

我が家に<言葉狩り星人>が爆誕している!

確かに、なんでもかんでも不快を「きもい」「うざい」で表現することに対して賛同はできないし、容易に暴力の言葉になる。
では、「きもちがわるい」「うっとおしい」なら問題ないのか。
「きもっ!」「うざっ!」の愛あるコミュニケーションもわたしは知ってる。

息子に「次女を怒れと命令してくるけど、そもそも君が『うざい』と言われるようなことを言ったのは悪くないの?」と聞く。
「ぼくは、悪い言葉は、使ってない!」

どうやら息子は、単語を「よい/わるい」で認識しているみたいだ。
『文脈』というものが、すこんと抜け落ちてしまっている。
なんてこった。

でも、娘たちにだってあえて『文脈』について教えた記憶など、ない。
・・・いや、「ここでそれを言ったら、違った意味になるよ」「その言い方は誤解されても仕方ないね」みたいなやり取りは長女と散々してきた気がする。そして、なんとなくそれを隣で聞いていた年子の次女も、あえて言うまでもなくわかっている。たぶん。

なぜ息子は、こんなにも言葉を単語でとらえているのか。これが読書脳とゲーム脳のちがいなのか。夫もケンカの際には「単語」で逆上することが多い。遺伝なのか。男女差だ、とは思いたくもない。
よく考えればわたしだって、「単語」に対してヒートアップすること、あるよなあ。

「文脈ってあるじゃん?」と息子に言っても、「なんそれ」としか反応がない。
困った。なんとか年の功を駆使して「意味と意図」の説明しようと試みる。

あのさ、同じ言葉でもさ、ちょっと楽しくなる「こちょぐりことば」と相手が痛がる「ぶんなぐりことば」のどっちとしてでも使えるんだよ。
じぶんも相手もふざけてるって分かってるときは、「ばか」っていう言葉でも遊べるけど、ケンカしてる時の「ばか」はイヤな気持ちになる。
もちろん「死ね」って言葉とかでは遊んでほしくはないけど、それでもお互いが「これは遊びだ」って思ってれば誰にも迷惑かけないよね。

でも、自分は「こちょぐり」だと思っても、相手が「ぶんなぐられた」っていう場合もあるからさ。
危険な言葉は、ママに頼らず、自分で相手に「ごめんなさい」が言えるようになってから使えば?

わたしの伝えたいことが、息子に伝わったのかどうかは結局わからない。

子どもたちと言葉の使い方についてはなんども話をしてきたが、中学生になってからの娘たちの言葉は面白いように荒れていく。
あまりにも目に余れば釘は刺すが、それでも自覚的にくずした言葉や暴力的な言葉を使いたいのならご自由にどうぞ。
中学生にもなって「ママがだめって言ったら、だめなんだ」と盲目的に信じている方が不気味だ。

ただ、わたしが傷つけられたり、大事な息子を傷つけたり、その言葉を聞いて不快になれば、容赦なく怒る。

同じように、母からの言葉に傷ついたら、臆せず怒りを主張してほしい。
それに対してわたしも、ごめんね。ごめんね。あーめんどくさい。ごめんね。と子どもたちに謙虚に向き合っていきたい。と我が母を想いながら、思う。

人間は「言葉」という、生物史上もっとも便利なものを獲得した。
しかし、文脈、意図、行間など、言葉で説明できない「なにか」を、言葉を使ってやりとりしなくてはいけなくなったわたしたちは、なんて不自由なんだろう。

この不自由の面白さを、息子も早く知ったらいいのに、と思った。

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