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8月の、反省しているわたし_100日後にZINEをつくる、39日目
いつもきっかけはささいなこと。
相手からの言葉にわたしをコントロールする意図を感じとると、耳鳴りがする。
全身がピリピリ放電しだす。
結果、反射的に力加減をしない言葉を投げつけてしまう。
思い返せば、牽制と称して「私から殴る」パターンが度々ある。
意図や要求を嗅ぎ取った(と思いこむ)わたしは、支配しようとする(と思い込んでいる)人相手に腕をぶんぶん回してタックルする。
「言い方は大事」って人には何回も言いながら、いつまでも言い方を大事にできないわたしに凹む。
わたしに怒鳴られている子どもたちはあんな気分なんだ。
凹凹
怒鳴られると空気がビリビリ震える。
凹凹凹
自分より大きい声を出す相手に私の声は届かないと感じる。
凹凹凹凹
自分の言葉を出す気力もなくなる。
凹凹凹凹凹
怒鳴り声が止んだあとには身体の中がすっからかんになって無力感でいっぱい。
凹凹凹凹凹凹凹凹凹凹
たとえ自分が悪かったとしても。
怒号で頭を押さえつけられた時に感じるのは、反省ではなく屈辱。
しかも、いつも相手を注意する立場にいる私は、なかなか謝罪ができない。
プライドのせいだと思っていたけど、これはただの弱さ。
一歩足を引いた瞬間に相手の正しさに殺されてしまう気がして、一歩も足を下げることができない。
我を通すことで相手の正しさを認めまいとするとは、なんたる愚かさ。
取り繕わずにおられない、人間の弱さ。
わたしは誰かを不幸にしてばっかりだ。
苛々が立ち昇ってきた時に、相手を言葉で殴らずに応対するにはどうしたらいいんだろう。
「傷つけられた時に人は、自分の傷つき以上の傷を相手につけて回復しようとする」
暴力の連鎖はみんなが不幸になる。
自己嫌悪はだれも幸せにしない。
そんなことだれでも知ってる。
自分こそ正しいという思い込みって、どうやって捨てるんだろう。
わたしがそれを見つけたいと思って進んでいる道は、シーソーの上。
上を目指して進んでいるのに、ある一歩を踏み出すと目的地は下になる。
永遠に上に進めない。
あーあ、世界を憎まなくて済むようになりたいのに。
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という下書きを残していた8月の自分を、わたしはもうほとんど思い出せない。
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