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4桁を覚えていられない_100日後にZINEをつくる、43日目
銀行のATMでお金を下ろそうと暗証番号を押していると、突然4桁の最後の数字がわからなくなり、迷いに迷って数字のボタンを押す。
— 暗証番号が違います
軽くパニックになって記憶をたぐりよせるも、どれもこれもしっくりこない。
指が空を泳いだまま固まる。
後に並んでる人からの圧に背中を押されて、これかもしれないがしかし全然しっくりこない数字をおしてみる。
・・・正解!
大きく安堵するも、毎月使用しているたった4桁の数字を忘れるとは。
さらに正解の数字に全然しっくりきていない自分への不信感。
慣れ親しんだ番号が、突然他人のようになってしまった時の心細さたるや。
普段から年齢などの数字や人の名前を覚えるのが恐ろしく苦手なわたしは、普通の人よりずっと早くにいろいろなモノを忘れてしまうのかもしれない。
ある朝iPhoneのパスコード解除が出来なくなったり、成人したばかりの娘に「お母さん、私もう30よ」とか言われたりするのかもしれない。
子どもの頃くり返し見ていた映画を観ることで1番痛感したのは『自分の記憶の不確かさ』。
「あれ?こんな話だったっけ?」と気づいた時にはじめて記憶が間違っていたことを知るが、その間違った記憶はどこからやってきたんだろう。
徐々に変化していったのか、どこかでスパンと切り替わったのか。
どちらにせよ事実と向き合うまでは、それがずっとわたしにとっての事実であった。
数字が消え、人の名前が消え、自分が定かではなくなった時に、世界はどうなってしまうのか。
昨日までの記憶が定かではないわたしには明日を信じることは難しい。
明日を見失っている状態で未来にむけての選択はできない。
延々とやって来ない明日に向かって生きるときに確かなもの。
それはたぶん「身体」しかないのだ。
風邪をひき始めて喉が痛みだしたこと、鈍い頭痛やお腹がぐぅぅと鳴ること、背中がつっぱってギシギシすること。
「今」生きていることの証明は身体が絶えずおこなっている。
でも睡魔はだめだ。
夢と現実の境目にたたずんでしまうと、ますます自分が「ままならなくなる」から。
— いや、いずれ「ままならなくなること」に抵抗できなくなるのであれば、最初から手放してしまった方がいいのかもしれない。
と思いながらお風呂上がりの体重計をおりる。
このままならない身体よ。
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