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「いつもとちがう」に適応するストレス_100日後にZINEをつくる、64日目

鋼の胃をもつわたしが、胃がいたい。キリキリシクシク痛くて、自然とからだが「く」の字に曲がる。視界に入る人もれなく全員にケンカを売りたい。全方位が敵に感じる時、苛々の原因は自分の中にあるとわかっている。苛々しながら淹れるコーヒーはなんで酸っぱくなるんだろうか、と考えてまた苛々する。

先週末から子どもたちは冬休みに入り、部活だの、遊びだの、塾だの、いつもよりみんなバラバラの行動となる。この、家族一人ひとりの予定を把握し、出発と帰宅に合わせて家事の段取りを組む、このマネージャー的機能を求められることのストレス。通常より早く家を出る人、いつも通りの人、いつもよりゆっくりでいい人。誰も悪くはない。
しかしそれを全員分把握して、いつもより早く出る人のために早起きして食事の準備をしたり、ゆっくりモードの人を促して「あなたは今食べなくてもいいかもしれないけど、わたしは今食べてもらわないと片付けが進まないからいつも通りの行動をしてくれ」とねじを巻く。この言葉にするとなんてことのない、「いつもとちがう案配」が要求され積み重なることのストレスは、誰と共有できるのだろうか。

「どうせ自分1人でも昼ごはん食べるじゃないか」
そうなんだけど。わたしはその日の忙しさによって、お昼に椅子に座ってランチをとる日もあれば、14時過ぎにキッチンで納豆ご飯をかきこむ日もある。適当な主食がなく、なんとなく口に入れられるものをつまんで夜までしのぐ日もある。毎日朝の時点では自分が何時に昼食を食べられるかの予測がたてられない。予測不能な仕事の合間に「12時半にお昼ごはん」を期待されていること。それだけで、わたしの狭い心には負担がかかる。

「子どもたちだけでも昼ごはんの準備くらいできるじゃないか」
わたしが忙しくしていれば子どもたちはなんやかんや騒ぎながら食べるものの準備から片付けだってできる。胃が痛くなるのは「自分たちで用意して」という指示を待たれること、使い終わった後のテーブルやキッチンがべとべとだったりすること。「これやり残してるよ」「あとでやる!」「今やって!」「あとでやるっていってるじゃん!」このやり取りが心をガリガリ削る。

普段は家族の時間と仕事の時間は区切られていて、子どもが帰宅するタイミングから仕事と家族が混じり、夜の自分の時間に向けてがんばる、というサイクルで生活している。これが朝から晩まで、家族と仕事がごちゃっと混ざることで、いつも仕事の合間にこなされていた家事は夜に押され、ところてんのように自分の時間が外に押し出されていく感覚。おそらく今年はクリスマスイブというイベントが日曜であったため、週末の非日常感の余波が火曜の今日まで引きずられている。

ふと「クリスマス、ストレス」というキーワードで思い出したライフイベント法をググる。

アメリカのホームズ(Holmes,TH)らが開発したストレス測定法の1つです。ライフイベント(生活の出来事)法と呼ばれ、結婚に対するストレス度を50点とし,それを基準に0~100点の範囲で、ストレスに対して再適応に要するエネルギー量を評価します。

https://kokoro.mhlw.go.jp/glossaries/word-1577/

「ストレスに対して再適応に要するエネルギー量」と読んで、それ!それ!それだ!と嬉しくなる。

社会的再適応評定尺度

「クリスマス」12「休暇」13「生活状況の変化」25
イベントや連休により、再適応のために具合が悪くなるのはわたしだけじゃなかった。
「上司とのトラブル」より「妻の就職」の方がストレス度高いってなんでだよ。「離婚」「別居」って、「刑務所への拘留」よりストレスなのか。まじか。
など、ぶつぶつ言いながらこの表を眺めていると、元気が出てくる。ああ、わたしの一番のストレス解消は「おもしろい」なのかも。誰かの要求に応えるため、皆の快適を保つために自分のスキルを使うことは、大きな効力感は得られるけど、基本的におもしろくない。つまんなくて苛々してたのかね、わたしは。

仕事納めまであと2日。毎年わたしの年末年始はストレス評点63くらいだが、今年は「どうやったら家族とおもしろく過ごせるか」に挑戦してみてもいいかもな。

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