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noteがつらい_100日後にZINEをつくる、42日目

100日チャレンジはじめて42日目。
noteがつらい。

先週から日中に書く時間が取れず、夜睡魔と戦いながらなんとか連続投稿を達成。

日中はブルシットジョブに追われ、夕方からバタバタ家事をして、子どもを寝かせた22時過ぎからようやっと「何書こうかな」と考えつつ夜の家事を片づける。
23時過ぎからぽつぽつ書き始めて、だいたい終わらないので0時前に一度投稿し修正して1時前に投稿完了。

もともと書くスピードが亀なのに、夜は睡魔でさらに亀になり、1000~1500文字程度のテキストに2時間近くかかる。
書いていないときでも「何書こうかなエンジン」が稼働してるので、読書に集中できない。
もちろん勉強にも集中できない。
「モンハンなう」は画面叩いていればいいから眠気覚ましに最適。

そんなにつらいならやめればいいのに。

別に書くことがライスワークでもないし、むしろお金払ってる学業を優先しなさいよ、読書会の課題本読み進めなさいよ、って他人にだったら絶対言うね。

新聞記者でもないわたしが送る毎日に、書かねばならない事件はそうそう起こらない。
こころのネタ帳は余白だらけ。

日常しかない毎日を書き続けるという行動は、わたしという雑巾をぎゅーっと絞る。
絞る手もいたいし、絞られてる身もくるしい。

超自我に絞られる自我とエス

いずれ絞り切られて手をゆるめたときに、からっからになった自分が何を吸収するのか。

与えなくても勝手に吸い込んでしまうものがなんなのか、それを知りたい。

結局またどこまでも、自分、自分、自分、と遊んでるのか。

ZINEをつくるという目的は、このように目的ではなく手段に変化していき、いずれこの雑巾絞りごっこも目的から手段に変わっていく。


徐々にnoteに打つ文字数が減っていって、最後には2時間かけて1行を絞り出すような自分になってみたい。
きっと『千と千尋の神隠し』で大量のヘドロから解放されたオクサレ様のように「よきかな」って言えるはず。

だがしかし、わたしは川の神なんて崇高な存在ではなくて、空洞を抱えたカオナシとして生きてきた。

ジブリさんの公式サイトをさまよっていたら、あ!!!と見つけて嬉しくなった。

まさに!これこそわたしの心象風景。

千尋という自我と、カオナシというエス

わたしはいつも千尋の位置から、なんでも食べちゃうカオナシの自分をみてる。

千尋が吐かせたいのか、カオナシが吐きたいのか。

それとも千尋は、「どこまで食べさせたら腹が破けるのか見てみたい」と思ってるかも。

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