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こだわりの本屋が苦手_100日後にZINEをつくる、75日目

午後、ふと時間ができたので近所の本屋へ。
図書カードがあったので、Amazonで買わずに本屋でお金を使おう!と向かう。

ブックオフと並んで立つその本屋は、面積こそ大きくはないが、児童書から漫画、雑誌、文芸、人文、芸術書など、「人生を豊かにする」をコンセプトに幅広いジャンルとこだわりの選書が並ぶ、ザ・本好きが好きそうな本屋さん。読書が好きな人なら誰でも、家の近くの新刊書店が末永く営業してくれることを願うだろう。

とはいえ、わたしもずいぶん久しぶりだと思いながら店内へ。入口横の児童書の棚から宗教、心理学、哲学、フェミニズム、社会学〜と並ぶ本たちは、どれも胸が躍る選書で目が喜ぶ。

胸の高鳴りを抑えて、「さて、どの本を買おうか」という目で棚を眺めだすと、違和感。

わたしの中の「興味ある」を刺激する本ばかりが並んでいるのに、家に連れて帰りたい本に中々目が止まらない。なんだこれは。と思いながら徐々に気づく。なんだかまるで、Amazonのレコメンドを棚にしたみたいじゃないか。

家にある本とシンクロの多い棚を見ると、「わたしたち、趣味が合うわ」と感じて嬉しい。でも、本の並びが「この商品を買った人はこんな商品も買っています」すぎると、もう目だけでお腹いっぱいになってしまう。

そもそも、その本読んだわたしが「ほしいものリスト」に追加している本がない。想定外も無いのに、痒いところにも手が届かないなんて。わたしは本屋では「そこで出会わなければ買わなかった」という本を買いたい。

もちろん町の本屋だもの、客層の間口は広くとるべきだし、大型書店でないんだもの、棚に置ける本は限られる。しかし、わたしが鼻についてしまうのは、一見「こだわりの」風を装っているのに、よく見ると「あれ?読んでないですよね?」って言いたくなる選書たち。店員さんが店内の本を全部読んでいないと!なんて思ってないけど、だけど!だけど!なんでか選書に愛がないと感じてしまうのはなぜなんだ?

少し冷静になろうと、店内をゆっくり見まわす。本好きに旬な本と文学好き強者が掲げる必読本。1冊1冊はセンスがいい。でもさ!この本とその本をつなぐ本の存在が、わたしには見えない!!

いや、もう全部わたしの妄想かもしれない。わたしがキラキラしているその書店に謎の嫉妬をしてディスってるだけかもしれない。

そんな葛藤を抱えて1時間半、狭い店内の棚を舐めまわす変な客になった挙句、目的の漫画の新刊2冊と中を見てから決めようと思っていた本を1冊だけ購入。

なんだか消化不良で、ぐったりしながらフラフラと横のブックオフへ吸い込まれる。

本屋に貢献したいと言いながら、中古本買うんかい!と自分にツッコミを入れるが、わたしはブックオフが好き。何が良いかって、ここにある本は全部「誰かが少なくとも一度、お金を払って手に入れたがった本」。読んだ、読まなかった、読めなかった、に関係なく、誰かが期待と共にその本を手にしていたという事実が、付加価値をつける。

先ほどまで隣のこだわり書店で心が渇いてしまったわたしに、店内を歩き回っているだけで中古本たちが潤いを与えてくれる。読みたいと思う本を見かけるたびに「この本をすでに読了した人が近所にいる!」ってドキドキできる。ジェーン・スーの本が「海外の作家」の棚に差してあったって、ブックオフなら許せる。

1/2〜4のウルトラセール期間中、三社詣ならぬ三ブックオフ詣を済ませたのに、今日もダメ押しの購入。20%オフ期間中に買っておきなさいよって話ですよ。

ああ、わたしの理想の本屋ってなんなんだろう。
福岡にもこだわりの本屋は少なくないけど、こだわりの角度がズレるとがっかり感も大きくなる。隠れ家風で敷居を高くしているのも好きじゃないし、客を値踏みするような店も苦手。なんかこう、「これが大好きなんです!」をそのまま見せてくれる本屋が近所にあったらなあ。

そんなことを考えつつ、痛い腰をさすりながら家に帰った。

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