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『ベイブ』を観て「ベイブ論」を読み始める_100日後にZINEをつくる、7日目
ここ数日かけて「ベイブ」を観ていた。
なんでZINEのためのホラーでなく子豚なんぞ見ていたかというと、柿内さんの新作「ベイブ論」を買ったから。
映画を再視聴したいま、俄然読みたい気持ちになってきた。
あるものを見ること、見たものをテキストとして読むこと、そして読んだものに突き動かされるように書くこと、この三つのありようについて、実践的に示すパフォーマンスである。
本の購入の際に「本を書くためにベイブを6-7回観ました」と柿内さんにきいて購入を即決したんだけど、映画鑑賞して改めて思う。
この映画で一冊書くなんてやっぱり正気の沙汰じゃない!
わたしも「このひと正気の沙汰じゃない」っていわれるように生きていきたい。
「父」においてよきものとは何か。僕はこの問いを前に長年立ちすくんでいた。そのようなものが果たしてあるだろうか。(省略)本稿は、映画論を方便としたごきげんな男性論の試みでもある
ベイブの、あの吹替版のあまったるい喋り方と産毛の生えたピンク色の皮膚の質感を忘れないうちに本を読もう。
そして、思春期以降「父」不在の人生を送ってきたことや、普段「父」を必要としない子育てをしているわたし自身も「父におけるよきもの」について考えてみたい。
ちなみに、柿内さんのように深く言語化はできないけど、私が映画を観て感じた「よき父」はラストの台詞「Good Job!」の一言に集約されている。
しかし、その「よき父」を「よき母」と分ける必要性についてはよくわからない。
むしろ父であるアーサーの実直さを強調するために、妻であるエズメを「愚かさと鈍感さを抱えた保守的な母」として描いたのかなと感じて残念な気持ちになった。
われわれが普段素朴に行っている、見ること、読むこと、聞くことは、単にプロダクトを受動的に消費するようなものではなく、それ自体が作品を再創造しかねないほどの力を持った積極的共同制作でありうる。
普段行っている生活の中に世界を再創造できるパワーがあると気づくと、がぜん楽しくなる。
この「見る・読む・聞く」という行為がもたらす能動的な力を意識して、貪欲に見て、読んで、聞けるようにどんどん練習していきたい気持ちになりました。
明日へつづく
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