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ままならないからだで運動を楽しむ_100日後にZINEをつくる、6日目

ままならない身体を思い通りに動かそうとするのにちっともうまくいかなくて、それでも肉体がちゃんと疲れるということは爽快だ!と思えた日だった。

体育館の中にからだからだからだがいっぱいで、ひとつのボールをこちらからあちらへ送るだけのゲームにみんなで一喜一憂して、この、「みんな」になれるところに団体競技の気持ちよさがあるんだなあと思った。

誰か一人が浮足立つことで途端にボールがまわらなくなったり、誰か一人の動きがみんなの気持ちをひっぱったり、自分の普段の生活ではほとんど実感することのない<個と集団のつながり>を垣間見てしまった。

ずっと体育が大きらいな人として生きてきたけど、たしかに運動のセンスもなくて、思うままに動くと笑われるか怒られるかのどちらかしかなかったけど、わたしは身体をうごかすことが好きって気づいたのはここ数年。

小学生の頃50m走のあとに、担任に「本気で走れ!」って怒られて以来「運動は本気でがんばっても怒られるもの」ってインストールされ、中高では極力身体をつかうことを避けて生きてきてしまった。
ほんっっっとに勿体ないことをしてしまったって今は思う。

身体の細胞がぐんぐん成長していく時期に身体を動かす楽しさとか、動かす練習をつんでおけば自分の身体に対する信頼が自然とできたはずなのに。
自分とぎくしゃくしたまま、老化を意識する年齢まで生きてくると、ここから信頼を得るのはすんごいむずかしい。膝も腰もすぐ痛くなるし。

運動も私のからだの自己表現だと思えばいいのだろうけどね。

身体が疲弊すると頭がまわらないので今日はこの辺で。

明日につづく



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