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君たちはどう生きるか

『君たちはどう生きるか』 初見

私たちはどう死ぬのだろうかと思う。どう生まれてどう生きてどう死ぬのだろう。
これをエンタメとして昇華した宮崎駿が凄い。
今までジブリ、好きでも嫌いでもなかったんだけど一気に好きになった。凄かった。
でもこれ多分大学に入る前の私には意味がわからなかったと思う。めちゃくちゃに民俗学的視点で、だからこそああだからここが繋がるのかと、幾度目かは分からないけど、大学で私がやりたかった勉強しててめっちゃよかった。物語の解像度に貢献したこと数えきれない。
初めに世界に落ちてからの「後ろを振り向くな」
これは見るなの禁忌。これは「見る」ということが世界を創ってしまうために、その影響を与える/与えないための禁忌。直人はきっとあそこで死という本物の影響を与えられずにすんだのだろうなと。
直人が死の世界に落ちたのだと私が理解出来てたからワラワラは命なのだろうなと考えてた。
劇場でワラワラたちへの愛おしさ(可愛さ)に笑いが起きてて、それも含めてちょっと感動した。そうだよな、そもそも命って愛おしいものだよなあと。
ワラワラが上がっていって、受精卵に見えた時に上手くできてるなーと。それを邪魔するペリカンと、守るヒミ。きっとあの中に流産ひいては死産の子たちの命が含まれてるのだろうなと。
炎を使ってて、あーこれはきっとお母さんだなとあたりはついた。
直人があの世界にたどり着いて初めて口にするのが、黄泉戸喫が「水」だった。民族学的に水はさまざまな境界を表していて、直人は水を飲むことできっとこの境界を越権する人間なんだとわかった。
次に訪れるのは死後の世界。いや、もしかしたら死後ではなく「死」の世界の一つ上にある生まれる前の世界なのかも。パンを食べる時の窓の向こうには「幻想」のヨットの群れが変わらず流れていたし。きっとこれも全ての輪廻の隠喩なんだろうなとは思った。
パンを食べる時にも最初にシチューを振る舞われた時にも聞いた「ちゃんと食べなよ、もっと奥に行くんだから」これはきっと流れる時間の中を知るのだからって意味だった、のかなあ?それとも母親として出た言葉なのかな。
紙垂が垂れている神域に入ることはそりゃ禁忌だよねとは思ったが
紙垂は雷の形を模ったもので、そのまま"豊作"の意味がある。雷といえばお父さんの言った「雷みたいだな」も少し気になるけど置いておいて。豊作。まあインコたちにとって子供を授かってる夏子はきっと豊作の対象ではあるよね。その神域。
だからあの争いが起こってしまった。
ここで思い出すのは藤子・F・不二雄の『ミノタウロスの皿』きっとこれはオマージュなんだろうなと思う。私があの作品で好きな一言は「言葉は通じるのに話が通じないというのは本当に恐ろしいことだった」って言葉なんだけど、それもおいておいて。
その結果行き着いたのは「創造主の部屋」
ここで引っかかったのは「これは木なんかじゃない墓と同じ石だ」

一つの岩石 がすべての身体的特徴を備えているわけではないが、小石を生む岩石があり、成長する岩石があり、さらに死ぬ岩石があり、人間の誕生から死までの身体的特徴を備え各種の岩石伝説がある。
岩石が身体性を持つのは、岩石が神の依り代だけではなく、岩石そのものにもタマがあ ると考えられてきたからだ。また、アニミズムの考え方によって、石、木などのあらゆる自然物は人間と同じく、霊魂がやどっていると考えられてきた。また、岩石は人間の一生 とも緊密に関わり、通過儀礼にも大きな役割を果たしてきた。

(『岩石伝説の身体性に関する一考察』総合研究大学院大学 文化科学研究科 国際日本研究専攻
 宋 丹丹)

ちょっと手元に私が石について書いたレポートがないので引用させてもらう。
古来から"石"というものは魂が宿ると信じられてきた。アミニズムの日本人だからこそだと思う。でもだからこそ石には要石という言葉にもあるように「何かしらの境界の締め」として扱われることも多かった。私は直人が言いたかったことはここにあるんだろうと思う。樹木には神が宿る。今を生き、未来を生きる。石は死者の黄泉と現世を要として抑える。石での積み木を拒んだのはそれまでに見た石では"今を生きる世界を"作れないと考えたんじゃないかなと。その後純粋な石を13個用意されるがそれも悪意によって穢されてしまう。
13、これは大陸と大洋の数なのかなとか少し思ったけど数が合わない。あの世界での世界の数なのかな?純粋に北欧神話のラグナロクから来てるのかな。その後世界の終焉が訪れるわけで。
その後の海割りは大体の方がご存じのモーセでしたね。
私はその時におじさんの言った言葉がすごく好きだった。「自らの積み木を積み上げるのだ」ってやつ。
確かに私たちはあと一日、あと一日と世界をギリギリで保たせて生きている。いつ崩れるとも知れない不安定な積み木を積み上げていくような、誰かの世界がこの瞬間創造されては破壊されてるのだと思う。
そしてみな自分の時間に帰っていく。
石を持って帰った直人。迷信としてよく聞く「川や海の石を持って帰ってはいけません」さっき説明したように何かしらが宿りやすいため。だから鳥の言ってた「持ってきちゃダメじゃないか」になる
エンドロールで全て手書きのスタッフを見た時に宮崎駿は本気で人生をエンタメというものに昇華させたのだなあと思ってマジで尊敬した。
物語が好きで、物語に生かされて物語と生きることを考えてる私にその覚悟があるかなって考えてたら涙止まらなかった。本当にすごい。

最後に、宮崎駿監督はこの映画について「よく分からない」と答えたそう。そりゃそうだろと思う。だって私たちは今生きているせいでこの世界しか知らない。知り得ない。次の世界がどうなってるのかなんて、どう死ぬのかどう生まれるのかなんて知りようがない。
これは宮崎駿の考える人間がどう生まれ、どう生きどう死ぬのか、その上で私たちがどう生きるのかの話だから。だからこそ私は1番初めに書いたようにこれをエンタメとして昇華させた宮崎駿を本気ですごいと思う。今までのジブリ作品はきっとこれが根底にある物語だったのだろうなと思った。


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