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インスタ考えたやつ天才じゃね?

こんにちわこんばんわ

ぬるです。

最近いきなり熱くなってきてほんと勘弁してほしいですよね。

早く冬になんないかなァ

でも冬になったらなったで早く夏になれっていうんだろうね。

食うなら吐くな、吐くなら食うな

皆さん早速ですがinstagramってやつ、やっていますでしょうか。私は入れてはいるんですが、基本的に見るだけです。見る専ってやつです。

最近は社会現象になりつつもある「インスタ映え」。映えのためなら倫理に反することでもやってしまう人、主に学生が今では多いとか。ちなみに私の知人の彼女にも”映え”のためにチーズハットグを買って食って吐いている人がいます。体調的にも倫理的にも良いとは言えないその行為、何がそこまで人を必死にさせるんでしょうか。


認められたい

ずいぶん前に書き途中のまま放置してすっかり忘れてました。ちゃんと更新しようと思ってたんだけどなァ。

思えばインスタグラムって全然生産的ではないですよね。いいねの数だけお金がもらえるわけでもないし。そりゃあモデルとかやってる人にの中には、インスタグラムで若者の間で流行ってそこから仕事に直結する人もいますよ。でも大多数の人にはそんなこと関係ないでしょ?じゃあなんでそんなことすんのか、思うに自己承認欲求ってやつなのかなって私は思いました。私と同年代の人なんかはわかると思うんですが、ひと昔前にLINEのタイムライン機能流行りませんでした?自己紹介文みたいなの作って、やってほしい友達指名して、みたいな現代版チェーンメール的なやつ。あれも要するに自分の事を見て、評価してくれっていうやつでしたよね。

人って誰しも自分の事を知ってもらいたい、認めてほしいって思いがある。でもそういうのって結構難しくて。だって、人との会話で自分の事ばっか話してるやつって嫌われがちでしょ?だから、LINEのタイムラインにしろインスタグラムにしろ、他人からの関心がスタンプやいいねといった形で可視化できるものが流行んのかなって思うんです。昔のマズローっていう頭のいい哲学者さんも、自己承認欲求は人間の本能の中でも高位にあるって言ってましたしネ。

SNSで幸せは感じられる?

でもそういう物の弊害って結果として目で見える形ではなくとも、意外と既に出始めているのかなって感じることが最近増えてきた気がするんですよね。SNS疲れって言葉最近よく耳にしませんでしょうか。それって正に弊害と呼ぶにふさわしいと思います。他人の投稿を見ているとみんな幸せそうで、自分だけが不幸な気がする。それを紛らわし否定するように自分も投稿する。その投稿を見た誰かがまた自分だけが不幸な気になって…てな感じでよくない循環。もともと自分が感じた幸せを自分だけじゃなく友達とも共有するための物だったのに、それがむしろ不安にさせてしまうなんてなんとも皮肉なもんですね。

私もそう思う時がよくあります。家でゴロゴロしている時に友達が海行ってる投稿なんて見ようもんなら、その鬱さといったら筆舌に尽くしがたいですよほんと。でも、すぐ思い直すんですよね。こいつらにとってもこの幸せそうな瞬間って特別な瞬間なんだろうなぁと。非日常だけを切り取って載せるから毎日が幸せそうに見えるだけなんだなと。そういう自分の中でうまいこと変換する術を見につけないと、SNSとは切っても切り離せない生活を送っている若者は耐えられないんじゃないかなって思います。

自己満足から職業へ

ネットが普及したことによって、今までよりお互いのことに関心がなくなり、他人に大して関心はないけど自分の事は見てほしい。そんな人たちが増えてきたからこそ今のインスタブームみたいに大流行に繋がるコンテンツ、そんなものを考え出した人は誰なんでしょうね。めちゃめちゃ天才だと思います。そう遠くない未来、そんな世の中を見据えることのできる天才たちが、人から寄せられた関心の数をお金に直結させるシステムとか作ったらどうなるんでしょう。例えばインスタで言えば、いいねの数がそのままお金になるとか、ストーリーを見た人の数だけお金がもらえるとか。今以上に、よくないことする人が増えそうですよね。

まぁ私はインスタでこれからも可愛い女の子が見れればいいかなって思います。


初投稿を終えて

noteでのちゃんとした投稿は初めてだったけど、いざ書き終えて見返してみると、まあまとまってないですね(笑)。何が言いたいのかちんぷんかんぷんですわ。自分の書きたいことを文章にするってめちゃくちゃ難しいですね。

ここからはちゃんと投稿できるように頑張ります。