本命チョコの話
2/12
私がいま会える推し。
かっこいいし仕事が出来るし突然ボケをかましてくるところが可愛い。推しとか言ってるけど実は多分もう普通に好きなんだと思う。推しと呼ぶのは、好きに踏み込んだらたくさん泣くことになるのを体のどこかが知っているから。
今日の推しは、自分が使えるキャビネットに貰ったチョコを陳列していた。モテモテ自慢すな羨ましい。
シンプルにけっこうショゲた。なんかデカいクマ🧸とかあったし。缶か箱かちゃんと見えてないけど箱だったら許す。
でもショゲたのを自覚したところでB.B.クィーンズの『しょげないでよBaby』が脳内再生されて、(よかった私まだ大丈夫だ)って思った。
ぜーーーんぶ義理チョコでありますように!!!デカいクマ含めて!!!私が1番推しを好きなんだからな!!!あー好きって言っちゃったじゃん!!!あーもう!!!
推しを推す人というのは大きく分けてこの世に2種類存在すると思っている。
『同担歓迎』と、『同担拒否』。
私はどうやら同担拒否の血のほうが濃いらしくて、すぐ死にそうになる。
最初から人気者だと分かってて推すんだから死にそうになるのも分かってるのに馬鹿みたいだなと思う。寒いの大嫌いなのに自ら雪山登りに行く人みたいな。…例えにキレが出ないぐらい情緒が揺らいでいる。
でも後ろを向いたところで戻れる道はいつの間にか消え去っていた。やるっきゃない。
本命チョコを付き合っていない状態の人に渡すのが久しぶりすぎてド緊張している。
明日がバレンタインに1番近い出勤日だから、明日何があっても渡す。本当は14日に渡したいけど日曜ぐらいゆっくり休んでほしい。推しはすぐ働き詰めるから、どうか健康に生きてほしい。仕事頑張る人マジで大好きだけど、どうか自分の体と対話してあげてほしい。
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2/13
渡した。メッセージカードも添えて。笑顔で本命ですって言えた。
色々あって好意は事前に伝わり済みだからそれは少しだけ楽ができる部分ではあったけど、メッセージカードの文面で悩みすぎたのと推しの名前をフルネームで書いたことが無かったから深夜3時過ぎまで下書きの添削と名前の漢字の練習を繰り返していたら結局眠そうな字になってしまった。計画性の無さ、そういうとこだぞ。
あとデカいクマはおばちゃんからの義理チョコだったことが判明した上、缶でも箱でもなくて底マチ付きの袋なだけだった。よかった〜〜〜〜〜
今日になって1つだけハート柄の小さな紙袋が増えてたのだけちょっと気掛かりだけど、どう考えても私が1番時間とお金をかけて心を込めた自信があるからもういいや。所詮バレンタインってのは渡したいものや伝えたい気持ちがある人にそれを渡す・伝えるきっかけができるってだけだから自己満足でいいんだ。たぶん。
しかも休憩中に「帰りに渡したいです」って言ってたらしっかり帰りに渡すタイミング作ってくれてゆっくり一緒に帰ってくれたし。もう推しを推す1オタクとしてはここで自分の寿命が来てほしかった。最高の幸せを感じた瞬間に死ねる装置とか無いかな。
駅のホーム、2人で電車を待っているタイミングで推しがメッセージカードの存在に気付いた。
あまりにも素直な気持ちを書いてしまった上に眠い文字が恥ずかしかったので慌てて「それはコンタクトを外した後、眠気の限界が近いタイミングで読んでください」と言ってみたのだが満面の笑みで即却下された。そのズルい笑顔を見せられてしまってはもうこの先どう思われようが構わない。やっぱり幸せを感じた瞬間に死ねる装置欲しい。人生で1番魘夢に共感してる。
日が変わる少し前、大きな地震があった。
東日本大震災からもう10年も経つらしいのに余震らしい。
10年前の私は小学6年生だった。好きな男子がいて、人生で初めて本命チョコをあげた。チョコを渡すとき私は大きな失敗をした。「代理で頼まれた、後で誰からか教えるね!」なんて言ってしまったのだ。後々メールで「実は私が好きで…」みたいなことを言ったんだけど、今思えばなんて馬鹿なことをしたんだろう。恥ずかしさに負けることは後悔しか生まなかった。
しかも後から知ったのが、その好きな男子には好きな女の子がいたこと。私とも仲良くしてくれていた、顔が小さくて可愛い子だったこと。その2人が両想いだったこと。なんだよ最初から言ってよ。私ただの邪魔者じゃんか。勘弁して。西野カナ聴いて号泣してた時間返して。
私はそれから片想いをしたところでそれをちゃんと伝えることを放棄していた。小学生にして1つ恋のトラウマが出来てしまっていた。
好きな人には好きな人がいて、それが私ではないことを知っている、ことにしていた。
それから10年経って、人生2回目の本命。小学生の頃の自分の経験が役に立つとか期待してないけど、とりあえずまっすぐ伝えるのが一番後悔しないよな、ということだけは学んだつもり。人生は1度切りだから、なるべく人生のエンドロールに流れる後悔のシーンを減らしたいと思いながら日々を過ごしている。つもり。
ただ真っ直ぐ伝えられた側のメンタルの消費とかについて考え始めてしまうのは歳のせいなのかな。これだけは経験値の悪いところだなと思う。とりあえず好意をしっかり文字で伝え直したけど付き合ってほしいとは言わないことにした。
いや〜今まで私と付き合ってくれた人たちありがとう。相当な覚悟を持って気持ちを伝えてくれたんだっていうことが、伝える側になって死ぬほど沁みている。愛してくれて、ありがとう。振ってしまって、ごめんなさい。振られて縋った時に突き放してくれた人、ありがとう。最後の愛に、ちゃんと私は気付いています。脱線しそうなのでこの記事もそろそろ終わりにします。
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