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例えばゆるい幸せがだらっと続いたとする
初めて視界に入った時のことも
初めてLINEした時のことも
初めて電話した時のことも
初めて待ち合わせした時のことも
初めて「また会ってくれますか?」とたずねた時のことも
初めて「あなたのことが好きです」と伝えた時のことも
初めて手を繋いだ時のことも
初めて口づけをした時のことも
初めてのことは全てがカラフルに、時には胸の高鳴りまでリアルに思い出せるのに、「最後に」は靄がかかってよく思い出せない。
最後に食事をしたのは、いつ、どこでだっけ。
私はまだ終わらせたくないのかもしれない。
とっくに連絡も取れないと言うのに。
Facebookすらやっていないようなアナログな人間なのだ、彼は。
そういうわけで、「ああ、結婚したんだ」と諦めることも、「うわあ、こんな投稿してる」と嫌いになっちゃうことさえ出来ない。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」を何度も何度も聴いている。
さよなら それもいいさ
どこかで元気でやれよ
さよなら 僕もどーにかやるさ
さよなら そうするよ
全てを投げ出したいくらい恋しく思った過去の恋人への気持ちと、今も私は「さよなら」することが出来ない。
彼はとても素敵なひと、そう、とてもとても素敵なひとだったので、そんなひとが一緒にいる相手として選ぶだけの価値があった女性として、生きていられるリミットが近づいてることがとてもとても悲しい。
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