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時速820円

高校1年の年の瀬、どうしてもお金が欲しかった僕は歩いて5分のところにあるファミマでアルバイトを始めた。
と言うより鬱屈として解像度の低い日常を揉み消すためにだ。

面接とオリエンテーションを済ませ、最初の責務は節分に向けた恵方巻きの五月蝿い朱色の予約用紙を3つ折りにすることだった。

脳機能を1割しか使わず、小学校低学年でもできる作業に研修時給820円が発生するという事実に胸が踊ったことを覚えている。

コンビニの仕事というのは忍耐があれば誰でも出来る。接客、品出し、検品、清掃そのどれもが単純作業で2ヶ月もあれば直ぐに玄人になれる。

平凡で小さなコミュニティでしか生きたことの無い16歳の少年は、スキルが上がる度に自分が社会から求められている気がして何となく楽しかった。

その頃の僕の高校生活は酷くモノクロなものだった。

高校1年の5月、入学してすぐの校外学習は県内の海岸に行き、小隊を作り10kmウォーキングするという何とも昭和的なイベントであった。

いわゆる陰キャであった僕は極力静かに穏便にこの面倒くさいイベントが終わらんかなと思いながら、知り合って日が浅い仲間たちとたまに言葉を交わしながら歩く。

空は薄らと雲の層におおわれ全くインスタ映えしない海岸風景を眺めこれからの高校生活の展望を妄想していた。

すると遠く後ろから隣のクラスのグループと思しき全く接点のない陽キャ集団が僕を指さし爆笑していることに気づく。

「ジョンレノじゃんw」「やめとけw聞こえたらやべぇってw」

耳をそばだてて聞くと彼らはそう言っていた。

ジョンレノとは当時流行っていたYouTuberのメンバーである。
丸い眼鏡としゃくれた顎、独特な口調。それがジョンレノ。

今でもそうだが高校1年の当時から僕は丸い眼鏡をかけていた。

全く接点がない名前も知らない隣のクラスの陽キャに謎のカテゴライズされ嘲笑されたこの瞬間から、ただでさえ冴えない僕の高校生活は暗転した。

隣のクラス合同の体育なんて最悪だった。もちろん2人1組になる場面ではもちろん孤立し、野球やサッカーの集団競技なんて……もう察してくだせぇ。

同じクラスでさえ話せる人は同じ中学だった女子と、リスクヘッジが上手く人目につかないところで話しかけてる男子だけ。

基本的にHRギリギリに登校して下校のチャイムがなるまで無言。

隣のクラスのイキリからは廊下でなんの脈絡もなく肩パンされ、健康診断を終えクラスに戻る道中にコソコソ笑いながら連写されたりしてた。

あの時浜辺で妄想していた高校生活の比じゃないくらい最悪な高校生活だった。

そんななんも面白いことがない生活をもみ消すために始めたのがファミマのバイト。

優しい主婦さんに囲まれながら少しずつできることが増えている喜びを感じながら研修時給820円を噛み締めていた。

2年生に進級し最初の中間試験のテスト勉強のために休みの申請をオーナーにした。


「固定シフトなんだからそんなの無理に決まってるだろ。」

「ですよね。すみません。やっぱり忘れてください。」

「大体まともに勉強してれば休みなんかいらないだろ。」
「お前身分わかってんの?」

禿頭からの激昴。
突然捲し立てられ、脳震盪。

ジャルジャルのコントなら
バン←
バン→
バン←
バン←
状態である(伝われ)


僕は気づいてしまった。
店に消費されてること。
店に共依存していたこと。

思い返してみると異常だった。

週3、5時間勤務で契約していたはずなのに、
気づけば週30時間労働

半年勤務してもなお研修時給820円のまま。

高校生のくせに月9万以上の稼ぎがあるにもかかわらず
全ての余暇がバイトに消え、貯蓄が30万以上。

おかしい。

そう気づいた僕は絶対に辞められるような嘘をつき次の期末試験前には足を洗えるように手配した。

辞めることが決まってからは溜まったお金で何をしようかと妄想し前を向くようになり辛いバイトも乗り切れた。

6月18日、僕はハイパー漆黒ブラックバイトから足を洗った。
血と汗と涙の結晶・40万を携えて。

頭がおかしくなるくらいインディーズバンドのライブに通った
午前中に学校が終わる日には制服のまま場末のライブに遠征するほど。

大阪、名古屋、金沢、興味がある場所に1人で赴いた。

各地で人とふれあい、少しは人間らしくなった。

ただの揺り戻しではあるけれど、
もしかしたら、ハイパー漆黒ブラックバイトで働いた経験も
僕の人生を豊かにしてくれたのかもしれない。

最後の出勤日、コーヒーを万引きしてるって嘘でっち上げたオーナー

お前は許さんからな。

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