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こんにちは。ぬくぬくママSUN'Sのかなちゃんこと中村香菜子です。

世の中は、私自身も含め、つくづく「ジャッジ」だらけだなあと思います。
ACのこのCMご存じですか?

ジェンダーに関する思い込みに、「はっ」とさせられるCMです。
ネットでの評判を見ると、このCMを見て怒っている人も多く、男性(女性)らしい声を想像してしまった自分を差別しているととらえられるのはおかしいという声も多いみたいです。
このCMは、「気づき」をみんなに発信しているわけで、責めているわけではないのに、責められているように感じてしまう人たちもいるんだな~と感じました。

無意識に、「決めつけて」いることって、たくさんあるなあと思います。
いい/悪い  
おもしろい/つまらない
おいしい/まずい
など、事柄をきいただけで、自分の中にボワンと思い浮かぶジャッジがありませんか?

私もそんなジャッジをすぐしてしまいます。
以前は、
不登校、障害→大変、気の毒だね
結婚している、こどもがいる→幸せいっぱいだね
中学に入学する→部活なにするの?
20年後→子供は結婚しているね

そんな決めつけもしていたように思います。

ひとりひとり、感じ方が違い、してきた経験も、物の見方の角度も違うわけです。
自分の中に「ぼわん」とジャッジが思い浮かんだときは、
一旦ごくんとそれを飲み込み、様々な可能性を考えてた上で、
「なにがあったの?」
「それでどう感じているの?」
と、聞けるようになりたいです。

私がLGBTの活動の中で、知った大きな気づき。
「幸せはその人が決める」

自分にとって、「それって幸せなの?」と思うことでも、
当人たちが幸せと思えば、それは幸せです。
このことは、他人であるより、家族のほうがなかなか理解ができません。
それは、身内のことを自分自身のように思い、そして、一生つきあっていかなければならない立場であり、家族には大きく関係することだからです。
同性婚の法案をとおすための言葉で、
「他人が同姓と結婚することは、あなたには関係ありません。出生数が減ることも絶対ありません。あなたは不幸にはなりません。だから、その人の幸せを応援しましょう」
という内容の呼びかけがよくあります。

これを見た時に、
私にとっては、自分の身内が性別を変えることは個人的に大きな負担を感じていたため、違和感を感じていました。

しかし、身内といえども、他者です。
「その人の幸せはその人が決める」
という言葉を聞いたときに私はズキュンと胸を撃たれました。

私は、自分に多少の負担があったとしても、その人が選んだ選択を応援するのが、愛する人へのアクションだと考えるようになりました。

そうすると、
身内であってもその選択を受け入れて応援できるようになりました。

だから、子どもたちへもそうしています。
そして、子どもたちもきっと私に対してそうしてくれています。

それが、条件つきではない
【無条件の愛】
だと思います✨

だから、「え?!」と思うことがあっても
「なにがあったの?」と、聞ける人に私はなりたいのです。
なにがあったかは、本人しかわからないからです。




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