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こんにちは。ぬくぬくママSUN'S香菜ちゃんこと中村香菜子です。
先週1週間は事実上お正月明けの一週間でしたが、わりと怒涛の一週間でした。PMSなどの体調も重なり、結構私も余裕がなくなっていました。

週末、未来への風プロジェクトinうどん県「学校は何をするところ?気楽にまじめに対話しましょう」という会に参加してきました。

北海道の中学校でさまざまな素晴らしい実践をされている校長先生が
「肯定ファースト」という言葉を使ってらっしゃいました。
子どもに接する大人が「~するべき」という、上着や鎧で動きにくくなっていないか?ということでした。

私は、いつも子どものことも周りのことも肯定しようと頑張っています。
子どもたちの「やりたい!」ことを尊重して生活させています。
生活リズム、帰宅時刻、ゲームの時間、友人との付き合い方・・・
中高生のやりたいことや選択肢は、新しいことを聴くたびに、ドキッとするし、心配も大きいです。
でも、その新しい話を聞くたびに、心配していないふりをして、
「そうなんだ、いいんじゃない」と言ってみたり、黙って見守ったりしています。
周りの親である友人などからは
「信じられない。それでいいの?私なら無理だな」
などと言われることも多々あります。そんな時はすごく不安になります。
私は甘やかしているだけではないのだろうか、こんなことで子どもの将来はどうなるんだろうか。と、迷いの渦に入りそうになることもあります。でも、それでいいんだと自分に言い聞かせがんばっています。

私が子どものやりたいことを極端に優先させてあげられているのは、不登校の息子を肯定しつづけることで、目に見えてよい方に変化し、元気になっていったこともあります。

一方で、自分が肯定ファーストができていないことにも、気づかされました。それは、自分のことです。自分のこととなると、そうはいかないのです。

このお正月明けから、年度末、新年度に向けてやらなければならないことに追い詰められ、まさに私は自分に対しても周りに対しても、「~するべき」まみれになっていました。
自分のできていないところばかりが目につき、それにがんじがらめになり、団体の活動もこうでなければと思いすぎて、周りに対してももっとこうしてほしいばかりが募っていました。

「肯定ファースト」の難しさは、感じます。大人になれば、しなければならないことはたくさんあります。赤ちゃんならば、何もしなくていいかもしれないですし、泣いても仕方ないねですみますが、年齢を重ねるとそうもいきません。

でもよくよく考えてみると、「~するべき」ということに縛られず、ゆったりやりたいようにやりたいことをやっても、十分間に合うし、大丈夫なこともあるのです。信号無視をしたり、猛スピードを出していかなくても、到着時刻はそんなに変わらない車の運転と似ているかもしれません。

息子は不登校ですが、元気に生きていますし、土曜日に交流会をしたDOやまびこの利用者さんは、苦手なことがたくさんあるかもしれませんが、幸福度は高そうにも見えます。

何が大事か、それは「生きる事」そして、できれば「幸福に生きることが大事」なのです。
なのになぜ、私はいつもそれを忘れてしまうのでしょうか。

がんばらなくてもいい、そのままでいい、そう思いたい。
そう思えない自分がまた許せない。
だから、いつも一人で反省し、またどうにか、一歩踏み出せるように自分を励まします。

私が一番苦手なことは「スピードを落とすこと」です。
また、自分と違う人のことを理解することも、なかなかできません。それは、あきらめずにその人を理解しようとし続けてしまう、うっとおしさでもあります。
とにかく、できないことがものすごくたくさんあり、いつも自分を責めています。

日曜日の朝、いつもよりゆっくりめに日課の山登りをし、いつもあまり話さない友人とゆっくり話す機会がありました。友人は「誰かに憧れることがあっても、誰かにはなれない。自分は自分にしかなれないのだと思う」
と言っていました。

きっと、私にもできていることや、やれていることがある。
気が付けば、「できない」「~がない」。そして、「~こうあるべきなのに」といつも思ってしまいます。
そんな私は、本当は自分に一番肯定ファーストを使うべきなのかもしれません。

あ、またべきって言ってるww

私の伸びしろはめちゃめちゃありそうです。




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