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無職半年(2)

辞めるまで何してたん?

今年(2023年)の春に辞めるまで会社には34年在籍した。この半端な数字で辞めたところが俺らしい。
入社はバブルも弾けんばかりの平成元年で、狂乱の時代から怒涛のパラダイムシフトを経て(このあたりはまた書いてみる)これまた地球も荒れ狂う令和のはじめに辞めた。

会社に入る時は大した志もなく時流に任せた。氷河期時代の方々には夜道で刺されるんじゃないかとビクビクしながら生きているのだが、別に俺がバブルを生み出したわけじゃない。弾けさせる一因にはなったかも。やっぱり背後には気をつけよう。

入ったのはけっこう大きめのメーカーで技術職なんだが、その頃花形だった「SE」というのになった。ただし「S」はシステムとうよりセールスに近く営業に付いて行ってあれこれ詳しめの説明をするという役回りだった。

その後の会社生活では、企画とか宣伝とかをやらされた。先にも書いた通り志がないので言われたことは二つ返事でやった。特殊なところだとメディア系に出向してコンテンツ制作もやった。戻ってからは会社が起した特別目的会社(というやつがある)の何から何までやるっていうのがあったので、経理から財務から総務から一通り舐めた。会社の精算に携わったことさえある。

だから昨今の「ジャニーズ事件」には一家言ある。あれは多岐に渡る人権侵害と不同意わいせつ罪で裁くことができるはずの史上最悪級の犯罪だ。なぜいまだに刑事事件の側面が見えてこないのかよくわからない(2023-10-03現在)。

いつ辞める?

閑話休題。

在籍していた会社はどちらかというと漂白剤系ホワイト企業だったが、それでもメンタルをやった。とにかく、いろいろやった。

会社を長く休んでいた時期もあった。そこでわかったのは、「ああ、俺一人いなくたってちゃんと回るんだな」と「けっこう長く不在にしてたのに休む前と同じことやってんな」だった。謙遜なのか不遜なのかわからない。

ただ、病むとどうしたって路線からは外れる。しつこいようだが志の無さが幸いして、それ自体はたいして悩まなかった。最終的に給料や退職金は同期の中では少なかっただろう。役職もつかなかった。良かった。背負うのは不得手だ。

当然治療もしたし、何とかかんとか病も寛解に向かったのだが、最後はやっぱりこれが効いてきた。メンタルの落下を薬で防いでいたものの、それでも辞める2年前にけっこう落ち込むタイミングがあった。その対処に精神安定剤を服用した。通常、頓服らしいが結局、常用することになった。

精神科医にも「この薬を飲みながら仕事をしているのは異常だということをよく認識はしておいてください」と言われていた。たぶん、そこで辞めるのが正解だったと思う。

ただ薬を使っていれば、外見は、というより自分でも普通に働けているような気がしていた。深刻に考えることもなく1年は過ぎたのだが、2年めからやはりガタが出始めた。

こうなって、ようやく少しだけ真面目に考え始めた。素晴らしく遅い。
まず生計を立てないといけない。ご妻女と二人暮らしなので比較的お気楽だったが、さすがに見通しなく辞めるのは怖い。

そこで、まず肩の荷を減らそうと思い至り、「住宅ローン」の見直しに取り掛かった。購入して8年経っていた。素晴らしく遅い。

とにかくローンを組んでいる銀行に行って借り換えプランを選んだ。思ったのは「何、これ。もっと早く言ってよぉ」だった。松重さんほどタッパはない。

でも最後の最後、審査で落ちた。銀行はOKだったのだが、団体信用保険が通らなかった。病気のせいだ。その時は裏で操っていた生保を恨んだが、今は「よくぞキッカケをくれた」と感謝している。入らんけど。

となると支出は変わらない。給料は微増。病がちだが優秀なので会社はそこを見てくれたらしい。先行きはグレーゾーン。

そうこうしている内に微熱が出始めた。これには自分でも驚いた。「体にくるんだ」と半ば新鮮な感動すら味わった。

毎日37℃前後まで熱が上がる。人によってはそんなの大したことないと言うかもしれない。だが、怠い。しかも、これが夜になって仕事を締めたり(ほとんどリモートだった)、休日になると発熱しない。

「こいつは…仕事イヤイヤ病だな…」

真面目にそう思った。だったら、医者(内科のこと。精神科は既にかかっている)に行けばいいのだが、皆がコロナに飽き始めた頃だったとはいえ37℃ぐらいだと診てくれるところが限られた。

「お熱がある方は来院をご遠慮ください」

矛盾だ。ちょっと笑えない。それでも、何とか精神科からの口利きで(いい先生だった)あれこれ調べてもらえたのだが身体的な要因は見つからなかった。

「ああ、このまま行くと逝くな」

で、辞めることにした。

疲れたのでおしまい(雑)。

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