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吉田隼人『忘却のための試論』評:凡そ鳥類は客死すべけむ

底本:吉田隼人『忘却のための試論』(書肆侃侃房、二〇一五、初版)

はじめの歌集が話題になれば次の歌集が出るのではないか? 私は吉田隼人の次の歌集が読みたい。
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いま二〇二二年だから、二〇一六年の夏にこの歌集を手にしてから六年になる。客観的には小学校を卒業した子どもが高校を出るほどの時間だ。その間、私は早稲田短歌会に入り直し、大学卒業とともに会を去った。

この歌集には印象的な鳥の歌が多い。

運命愛(アモル・ファチ)、運命愛(アモル・ファチ)とも啼かむかも氷雨のもとに花喰ふ烏 「烏羽玉」(p.112)

歌集第三章「烏羽玉」収録の一首である。人語を語るカラスの存在から真っ先に連想されるのは、エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉(原題:The Raven)」だろう。あの大鴉は「Nevermore」と繰り返し発話した。その代わりに、主体はカラスから「運命愛」というニーチェ哲学の用語を幻聴している。
実のところ、この連作は歌集の重心である。『忘却のための試論』にはプロローグ(序章)として、吉田隼人の訳によるマラルメの十四行詩「エドガア・ポオの墓」が掲げられている。そしてエピローグ(終章)を兼ねるあとがきの題は「Ēpilogue またはわが墓碑銘(エピタフ)」だ。二つの墓碑は、この連作によって架橋される。

うたびとはすでに彼岸の人にして草の葉ぬらす目にみえぬ雨 「烏羽玉」(p.113)

ところで作者は、この歌集を「十年間延長された「吉田隼人」の死のための一基の墓標として」世に送り出した。しかしながら、弔いは生者が死者に対して行うものだ。自分自身をあらかじめ弔うことはできない。弔いには絶対的に他者が必要である。あるいは、どうしても他者が見つからないのであれば、なんらかの分身が必要である。
だとすれば、歌集中の鳥類は吉田隼人の分身ではないか。自分自身を鳥類に弔わせるのではない。逆に、鳥類を弔うことで自分自身の弔いに代えるのである。私はこの仮説から出発したい。

名のうちに猛禽飼へば眠られぬ夜に重み増す羽毛ぶとんは 「冬の羽根」(p.96)
庭には二羽ガッルス・ガッルス・ドメスティクスもつと僕にも敬意を払へ 「archaeopteryx diary」(p.15)
Poesque(ポオエスク)にはちと足らぬ死別にて烏はウーロン茶のウーと鳴く 「砂糖と亡霊」(p.44)
行倒れ 雪夜に仆れ 背に街に大陸に雪の死化粧(エンバーミング) 「烏羽玉」(p.114)

この仮説の根拠は、吉田隼人の名に「隼(はやぶさ)」が含まれているから、というわけではない。しかしながら、この歌から感じられる冷たさと軽さは、鳥類の浮遊感と相性が良いように思う。言葉遊びは、ほかにも鶏の学名から洒落を引き出したり、烏龍茶から「カラス」だけを呼び出して鳴かせたり、あるいは「行倒れ」を「雪夜」と「仆れ」に分解したり、例を探せば枚挙に暇がない。ところで「Poesque」(ポーエスク、ポーを彷彿とさせる)に足る「死別」とは一体どのような不条理なのだろう。

さて、鳥類を弔うという点から参照したくなるのは、冒頭連作「おやすみなさい、鳥類」である。

建築のあひまを燃やすあさやけを飛びながら死ぬ冬の鳥類 「おやすみなさい、鳥類」(p.10)
旋回をへて墜落にいたるまで形而上学たりし猛禽 「おやすみなさい、鳥類」(p.11)
羽根は地に川に花野に(空といふふるさとのほかすべてに)舞ふよ 「おやすみなさい、鳥類」(p.11)

歌に従えば、鳥類は飛びながら死ぬらしい。少なくとも鳥は羽毛布団の上で死ねない。もっとも、飛翔は生きている間のみ可能であるから、鳥類の死地は空ではありえない。そして歌に従えば、鳥類のふるさとは「空」であるらしい。然らば、凡そ鳥類は客死すべけん。念のため注記しておくが、ここで生物学的な鳥類の生態について差し挟むことには禁欲的でありたいと思う。客死した者が故郷への帰還を望むならば、霊魂を自ら故郷まで招かねばならない。歌集第二章の望郷の歌たちは、そのためにあると感じられる。

また弔いという観点からは、吉田隼人の歌に引用が多いことを死者との対話と読み替えることが可能になる。本歌取りは、霊魂をたぐり寄せる降霊術にも似ている。

恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月 「忘却のための試論」(p.25)
そらのあを うみのあを とはことなれるあをさもて咲くほかなき 死びと 「反響」(p.134)
摩耗せし霊魂(プシケエ) 楽の音とともに眠剤のごと雪を容るるも 「永遠あるいは霊魂の架橋」(p.109)

「恋すてふ」といえば百人一首四十一番、壬生忠見の「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり」が思い出される。だがこの歌では恋愛のモチーフが蝶の生殖(そしてその後に控える死の暗喩)に変換されている。二首目は牧水の白鳥の歌を踏まえている。しかしどうしてか、この表記で「死びと」を出されると、否応なく戦没学生の手記である『きけ わだつみのこえ』が連想される。
ところで、無数の死者をたぐり寄せつつ、変奏を経て見送る過程を何度も経ることで、つまり想起と忘却の過程を繰り返すことで、記憶は摩耗し、もはやもとの形はわからなくなるのではないだろうか。三首目はそうした状態を象徴しているように思える。

単数の鳥、単数の死を負ひて羽根のうちなる模様をさらす 「芙蓉の罠」(p.105)
夏の鳥 夏から生まれ消えてゆく波濤のやうな鳥の影たち 「紫陽花抄」(p.107)
ひとならぬ身のかなしさに鵺(ぬえ)は啼き父よわが死を壽(ことほ)ぎ給へ 「紫陽花抄」(p.108)

繰り返すが、弔いは想起と同時に否応なく忘却をももたらすことに注意したい。即ち、『忘却のための試論』は、「忘却“するため”の試論」であるだけではない。これは同時に、「忘却“されるため”の試論」でもあるのだ。自らの黄泉送りを試みるにあたっては当然のことだろう。歌集の中で、鳥のモチーフは幾度となく召喚され、そして死んでいく。

大馬鹿者隼人のうへに満天の星をひろげて土曜は過ぎぬ 「archaeopteryx diary」(p.19)
ぺるそな を しづかにはずしひためんのわれにふくなる 崖のしほかぜ 「反響」(p.134)

この作者は大馬鹿者などではない。むしろ、あまりに賢しらな大嘘つきだろう。「ひためん(直面)」即ち素顔は、あくまで巧妙に羽毛によって覆い隠されている。

思い出すがいい、いつの日かそれまでの忘却(わすれ)のわれに秋風立ちぬ 「忘却のための試論」(p.32)

そうだろう、いつか思い出すはずだ。本当のものは、と。しかし、絶え間なく想起と忘却が繰り返され、その度に変奏が加えられるのだとしたら、我々は、一体なにを思い出すというのだろうか。


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