見出し画像

クラゲのわたし

水の中。
わたしは服を着たまま、そこにいる。

呼吸ができる。むしろ呼吸なんてしていないのかもしれない。吸うも、吐くも意識に止まらない、わからない。



上、下、右、左。
この水中世界に端っこがないわけではなくて、なんかこういうところだけリアルなんだけど、足もとには床が見える。ブロックタイルの床だ。

無論、水の中なので重力もほぼほぼ奪われている。
足の裏でタイルを感じることはできるけど、べったりとその床に足、そして身体が立つことはない。

そうだな、水族館。

水族館の大きな水槽の中。
つくりものなんだかいきものなんだか、死んでいるんだか生きているんだか、パッと見ただけではわからない、動きが止まっている、クラゲ。微動だにしない、クラゲ。
しばらくして、きのこ頭(あれがほんとうに彼らにとって頭なのか、わたしは知らないけれど)から降ろされた脚が、くにゃん、と波打ち「ああ」と存在を確かめる。

そんなクラゲのように、わたしはただ水の中に放り出されている。
放り出されたわたしは、思考はどこか遠くに置いてきたようで、浮かぶ自分を認めるだけ。

「クラゲのわたし」で、劇場を出る。
突然目の中に4月終わりのきらきら眩しい陽の光が飛び込んできて、思わず目をつむる、あける、つむる、あける。

まちをあるく。
意識は遠い。
音も、光もあるが、やはりぼんやりとしている。ただ、足はちゃんとコンクリートを捉えていることはわかるし、マスクをしているから自分の呼吸の存在にも気づいている。
車に跳ねられないように、その部分だけ、意識を早めに戻すように気をつける。

足の赴くままにパン屋さんに入った。
いろいろ眺めていたけれど、何度か「眺める」をしていたらそれに飽きてきた。多分少し小腹が空いていて何か欲しかったような気もするけれど、いまのわたしにはほんとうに欲しいのかどうかもわからないから、判断するのを諦めよう。そう思ってようやくその場を後にした。お店の中を4周はしていたと思う。

不思議な心地に身を委ねながら歩いていると、自分の内側の乾いていた部分が少しずつ濡れていく。するっと涙が出そうになって、「ああ生きているんだな」なんて思ってありがたさを覚える。

焦点を次の予定に合わせていかねばいけないという気持ちと、この淡いにもう少し身体を浸していたい気持ちがせめぎ合いはじめた。意識がまたいち段階戻ってきた現れだ。
それからも少し悪あがきを続けたけれど、わたしも社会人だからこちら側の感覚に戻していく。Wi-Fiのあるカフェを目指す。


いい映画をみたあとは、決まって不思議な心地になる。
次にクラゲに出会えるのはいつだろうか。


記:2022/04/20

この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。