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一人一人と。

「SNSの未来、命を救う繋がり」

そんな記事をスマホで読みながらブラックコーヒーを啜る朝

オレは渋谷優斗37才中堅企業の広報部で働いている。

SNSマーケティング担当を任命されてからはこんなニュースを追いかけ、研究している。

オーナー社長の意向で自社の精神を理解した社員に運用を任せるようにと鶴の一声で決定され広告代理店に委託することはできなかった。

まずは3ヵ月で企画しプレゼンしろと……
なにを?そこから考えろと来やがった。
仕事なんていつもそうだ、勝手にやれと決められ3ヵ月で何かを成し遂げそのやり方や考えなどをプレゼンしろと来た、目標や目的、コンセプトさえも自分で決めなければならないのだ。

広報の仕事をしていたので、誰かに何かを届ける方法はある程度心得ていたのだが、そんなその場しのぎの浅知恵では納得できないし、すぐに飽きられてしまうことは解りきっていた。

そもそもわが社の商品のメインターゲットは70代だ、今までのWEB広告は子供や孫世代に向けたプレゼント購買狙いだった、そもそも70代の人がなにを考え、なにを欲しているのかさえ知らない。


オレは同級生の千春に電話をした、千春が老人ホームで働いていることを思い出したからだ、早速その施設で説明会をさせてもらったのだがこれが大変だった。

スマホやパソコンを使える人のマウントはエベレスト級でとても高く険しかった、逆に使えない人は電源さえ入れれないのだ……

まず1ヵ月間ほぼ毎日通い使い方を教えた飲食をともにし、一緒に過ごして考えた、そんな努力の甲斐があってやっと方法が見つかった手書きで書いてそれをPCで読み込みテキストに変換しSNSに投稿するというやり方だった、他にも入力代行の仕組みも生まれた音声だ、スタエフに録音し専門学生がそれを聞いてテキストにしてくれるのだそんな新たなビジネスも生まれた。

施設にはPCに長けた方もたくさんいたので助かった、できる人ができない人に教えるようにもなった。

それからもほぼ毎日通い、投稿を巨大スクリーンに写し読み上げたりもした。みんな年齢を重ねた強者達で良い文章を書く、時には涙を流しながら読み上げることもあった。

みんな家族とも繋がるようになったり、他の施設の人たちとも繋がったり楽しめるようになって来た、時間はあっと言う間に過ぎたが、すべてが良いことばかりではなかった今度はひがみだしたのだ、「なんでフォロワーが増えないんだ」「いいねが少ないじゃないか」

なんだよ、みんな一緒じゃないかと思い……



笑った



そのうちに少しずつ口コミで広がり
「SNS介護」なんて言葉がワイドショーを賑わすようになっていた。



そのころオレは会社を辞めて新しい仕事を始めた


名刺には「あなたの心の明かりを灯すお手伝いをします」と書いてあった。


あんなにSNSを勉強したのに今は一人一人と向き合い仕事をしている。


いや、SNSも一人一人と向き合う仕事だ


(1192文字)



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激熱の冬ピリカグランプリにギリギリ間に合った……かな?
あかりをテーマにした小説だ、小説は苦手だが書いてみた、ぼくの小説はエッセイに見えるらしい
小説になっているのか不安だが、参加したことに意義がある※自分の中でだが(笑)

いただいたご支援は、創作活動に使用させていただきます。 家族に”創作活動”してくるねって言うと「はっ?」と笑われます! いつの日か皆様のご支援で家族を見返してみせます! 応援よろしくお願いいたします。