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タイムスリップ【カルカッタ#2】

カルカッタの路上は混沌としていて見飽きることがなかった。道脇にある井戸水のポンプの周りには、水を汲む人、洗濯する人、体を洗う人がひしめきあう。
洗濯する人は、汚れた地面の石にゴシゴシ擦ったり、叩きつけたり。
綺麗になってるのか汚れているのかわからない、洗濯の概念がひっくり返る洗濯。
体を洗う人はガムチャを腰に巻いて、地べたに座って泡だらけになり、柄杓の少しの水で器用に洗い流す。

水を汲む人はポンプの口に袋をくくりつけ、キコキコと棒を押していた。その不思議な形の黒い袋が気になってと近づくと、それはヤギの体の形のままの皮袋。首の部分が注ぎ口、前足と後足部分を繋いで持ち手にし、お尻の部分が底になって縫い留めてある。いたるところに継ぎはぎが施され、長年使い込んでいる相当な年季ものだ。
考えてみれば、かつてヤギが生きていた時には、中に血液が保たれていたわけで、水を運ぶ容器に作り替えるのは生活の知恵なんだ。
もし自分がヤギだったら。
自分の体がこうやって誰かの暮らしを支えていくものに姿を変えて、何度も何度も修理され続けていることに満足な気がした。

たくさんの継ぎ当てのあるヤギの水嚢


夕暮れ時に、狭い路地のチャイ屋でチャイを飲んでいると、道幅ギリギリにリクシャが通るので、足を車輪に踏まれないようにグラスを片手に時々爪先立ちにならなければいけない。
リクシャワーラーは薄暗がりの中を、クラクションがわりに鈴を鳴らしながら通り過ぎる。もう日が落ちて暗くなり始め、目の前のたばこやさんの軒先にぶら下がった裸電球の光が揺らぐ。フィラメントがはっきり見えるほどの、小さな小さな灯。

その時ふと、タイムマシンで昔にやってきているような気がした。
江戸時代とか、こんな雑踏だったかもしれない。
なんだか懐かしく、この空気は知っているような気がした。

#インド #旅



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