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来てしまった【カルカッタ#1】

インドに行くつもりはなかった。
本当はアラスカに行くつもりだったのに、とうとうカルカッタまで着いてしまった。空港の出口には、人、人、人。
とんでもない数の客引きがゲートの向こうで束になってひしめきあっている。
「ヘロー!タクシ?タクシ?」
血走った目で私達に手招きしている男の群れ。
ここを突破する?そんなことできるのか?と後ずさりした1998年の1月。

私の旅のスタート地点はバリ島だった。
南の海から回遊する鯨みたいに北上し、星野道夫のアラスカを目指すつもりだったんだ。
しかしバリでインド好きなKに出会ったことで全てはひっくり返った。
「一緒にインド行こう」
アラスカはまたいけるかもしれないけど、インドは今しかないかも。
行くと決めたらあっという間にカルカッタに運ばれてきてしまったような、今までと違う時空間に入り込んだような。

なんとかタクシーに乗り、Kの案内で安宿街のはずれにあるゲストハウスに着く。フロント台の陰からひょいと出てきた中年男は、パリッとしたシャツとスラックス、背は私の腰くらいしかない小人だった。映画「ブリキの太鼓」みたいだ。男とKが値段交渉している間、目が釘付けになってしまう。男の小さな体にフィットした服はオーダーメイドだろうか、なんて考えつつ。

荷物を下ろし、チャイを飲みに通りに出ると、道に寝ている人、牛、野良犬、鍋をたくさん頭に乗せてる人、ヤギの群れとヤギ使い、豆を売り歩く人、笛を売り歩く人、荷車、人力車、車などなどなど。
目と耳と鼻に飛び込んでくる刺激の強さにクラクラしながら歩いていると、
「フルイトモダチー!」と満面の笑顔でKに近寄ってきた男は片目だった。
え?友達?
Kと片目の男はガシッと握手を交わす。
続いて「Hey! Old friend!」と右手を差し出し近づいてくる眼光鋭い男は左腕がなかった。
ただでさえインパクトありすぎる街の風景に度肝を抜かれているのに、強烈な個性を放つ人ばかりが話しかけてくる。
手汗を握りしめながら「すごい友達たくさんいるね」というと、
「何度も来てるからさ。この先に友達の店があって、そこの隣がチャイ屋」と連れて行かれたのが葉書屋サトシの店だった。
「おう、久しぶりやな、元気だったか?」と立ち上がるサトシとKは握手を交わす。なぜインド人が関西弁?と思いつつ、だんだん驚くことに慣れてきた。

道の壁に設置されたサトシの店、レンガの段差に座るよう勧められるままに腰を下ろす。旅行者が多いこの界隈でポストカードを売る商売を始めたのは子どもの頃で、路上のやりとりだけで日本語を習得したという。
彼は日本人には日本語で、韓国人には韓国語で、フランス人にはフランス語で、相手の国籍を瞬時に予測して声をかけ、そして見当が外れることはなかった。
数年前に手売りから移動式の店舗を持つに至り、その際に彼を応援する旅人も少しずつ出資したとか。店というには小さすぎるこの店を、彼が誇りに思っているのが伝わってきた。

「チャイ飲むか?」とサトシが私たちの分も隣のチャイ屋に注文してくれて、
出前を運んできたのは7歳くらいの男の子。
うわー、ほんとに子どもが働いてるんだ、
とドキドキしながら「サンキュー」とグラスを受け取ると、
まるで「フッ、いいってことよ」という余裕のウインクを残して去っていった。

「サトシって名前はインドにもあるんや、サントッシュって。おもろいやろ?
自分にもインドの名前つけてやろうか、ジュヒチャウラがええわ、べっぴんの女優さんやで」といい、私は流れるような日本語に呆気に取られているうちにヒンディネームまでもらっていた。
サトシと話し込んでいると、チャイ屋の少年が「飲み終わったなら返してもらうぜ、こっちは忙しんだからな、まったくもう」と文句を言いながらグラスを回収に来た。ベンガル語なんだけど声や動きや顔でそう言っているのが「わかる」のだった。
その堂々とした働く男の小さい背中を見送ったとき、この異次元世界が面白くなりそうな予感がした。

その後何度となくインドの玄関口カルカッタを訪れることになるのだが、この汚い路地でチャイを飲むと、「帰ってきたなー」という気持ちになる懐かしい場所。

#インド #カルカッタ#旅#心のおもむくままに


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