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突然ですがBLの世界に行ってきました。

訳あって、アジアのBLドラマの中にいます。

最初は「眼福」のためだけに。
そしてだんだんと沼る。渦る・・・。

最初に申し上げておきますが、
なんとか一波、超えることがやっとできたので
この気持を記録しておきます。

最初に失恋したときって、乗り越え方がわからないじゃないですか。
乗り越え方がわからない、という感覚って、鮮明に体に刻まれていて、
それを乗り越えたときの感覚も、刻まれていて、
それでも失恋って何度やっても苦しいじゃないですか。

必ず時が解決してくれると人には言うのに、
そこから出たくないのか、出たいのかわからない自分っていうのが
刻印のように体の中にあるでしょう。

わかっているのにね。

この沼は「ヤバい」。

疑似体験を繰り返す。

そして何万人というファンという存在もいる。

俳優たちはどんな気持で彼らの前に立っているんだろうと思う。

ドラマを見たたくさんのファンが手を振り、
自分に視線を送り、
歌を聴いてくれたり
話を聞いてくれたりする。
頭の中でどんな想像をしてそこにいるのか。

こわくなったりはしないのだろうか。

いろいろなBLドラマが渦巻く中で
私の中では
珠玉の作品が一つ。
最初に見つけた愛着の作品が一つ。
ドラマからその裏側のドラマまでが克明に世の中に刻まれた作品が一つ。

計三作品の中で現在、私は、渦っている。

BLの世界は、それこそ泡沫。
彼らの世界に、関係性に、溺れ、のたうち回り
幸福の絶頂に行き、ドラマが終わったあと、
その世界に取り残されていくのは視聴者であり、ファン。

その取り残され感が良いのか。

疑似失恋に酔っているのか。

仕事もままならなくなるので、胃が非常に痛い。

いままで「推し」という存在もいないし、
何かに依存する、ということもものもない。
そんな人間が渦って沼っている。
BLは恐ろしい。

ドラマが終わり、
俳優達もまたそれぞれの道を歩き出す。
傍らには女優がいたり、
その女優と手を繋いだりしている。

心の片隅ではわかっているのだ。
いつまでもこの世界がそこにあるわけではない、と。

でも、
強烈な違和感が生まれる。

そして続編を望む。
または永遠の関係をのぞむ。

わかっているのだ。
もしも続編があったら。

わたしはまた死ぬ。
よくもわるくも。見てはいけない。
それでも。


最近は、ドラマに並行して、いろいろな動画が出てくる。
俳優達がこのドラマについて客観的に話しているのを見たりして
心の中の沈静化を図る。
けれど、気づいてしまうのだ。
彼らの無意識の行動や言動に合間合間に
愛が漏れていることを。
そして、愛が昇華されて、違う形になっていることを。

↑あ、ここはもう、ナイスミドルになってこういう沼にはまったオンナの
力強い妄想のうわごとです。

そして、その後に出された新曲とかを聴いて
勝手にドラマとその後をオーバーラップさせて
いくらでも泣けるのです。

↑これもまた加齢現象として涙腺が常に広がっているナイスミドルの力強い妄想の涙です。

ディズニーよりも
「王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしました」
が色濃くあるのがBLの世界。
そことの分断、それを持った上でのこれからの俳優生活。
俳優自身が一番もだえるのだろうと思う。

強烈な違和感と
強烈な幸福感と
強烈な現実との直面

一人で乗り越えなければいけない。
どんなに堆くファンがいるとしても、
ここは恐らく彼らは孤独だ。

そこを含めてまで、
遠くで見守りたい。

おばちゃんは、ファンミーティングに行きたいが
恥ずかしくていけないので、
映画で我慢する。

↑なんだかんだ言って、気が小さいおばちゃんの弱気を
最後に力強くだして、BLの世界の話はおしまいです。

小さく、自分の過去のことをおいておくと
高校の時に衝撃を喰らうほど「好きだな」と思ったのは
女の子でした。

窓に寄りかかってぼーっとしていたら、
外から声が聞こえてきて、
誰だかわからなかったけど
その声に縛られた。
本当に耳に飛び込んできた笑い声だった。
その声を探した・・・・

という話は、まあいいです。
今もその瞬間が記憶に残っています。
彼女のそのときの顔もね。

後にも先にもその1回だったけど、
そのときに自分の中に植え付けられた社会通念が
一気に崩れたのでした。

しばらくはこの沼にいます。
美しいものは美しいのです。
それは譲りません。



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