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だれが成長なんてするもんか。

人形劇をやっています。
人形をもってしゃべると、いくらでも言葉がでてきます。

突撃人形劇みたいな、
そこにいる、目の前の人と突然人形劇を始める、
そこにいる人の手に突然人形をかぶせて会話を始める、

なんてことをたまにやるのだけど、

自然と言葉が出る。
言葉が出なくても動きだけで何かが成立する。
相手がどんな声でどんな姿勢でどんな気持ちでそこにいるのかを感じて
それをすくい取りながら会話を進める。

りかちゃん人形をリカちゃんハウスの中でもて遊んでいたときから
やっていることが変わらない。

人形を持つと言葉が出る。

不思議だ。

そして、それが人形劇の良さだ。

自分の目の前にいる人形に自分を投影する。

あるいは、人形の気持ちを代弁する。

どちらでもいいと思う。

どちらであっても、自然と心のうちを吐き始める。

ストレートプレイのような、仮面をかぶっているのかいないのかわからない気恥ずかしさがいらない人形劇。
意外と恥ずかしがり屋なので、わたしにはなかなか難しいストレートプレイ。どこか少し他人事でいたい、という無責任な逃げるような気持ちもある。

そこだけは、ずるいおとなになった。

言い終わったら、相手の目を見ずにそのまま後ろを向いて劇を終わりにすればいい。でも、大概は、人形をおいて、お互いに目を見て、笑顔になっている。不思議だ。

5歳のころから、変わらない。


江國香織さんは著書の中で書いている。

「わたしは前に進むのが嫌いだ。その場にとどまっていたい。けれどどうしても進んでしまう。前に進まないためには、後ろ向きに歩くしかないのだ」

時間が動くかぎり、私達は何かを見て何かを得て何かを理解してしまう。5歳の利香ちゃん人形を操っていたころからどんどん成長してしまう。

人形劇をしている間は、誰が成長するもんか。

ひたすら背中をまるめて人形を操るのだ。

誰が成長なんてするもんか。


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