縫うの苦痛をお話しします

 こんにちは。
 昨日も街角芸術倶楽部更新しています。

 代官山アドレスにある松田重仁「地球の芽」。オフィス棟?住居棟?の入り口の近くにあるアートで、ブロンズの色を非常に巧みに利用した作品です。フォルムといい色といい天野喜孝の「やさいのようせい」を彷彿とさせました。可愛いアニメだったな。

 2点目は大府市のallobuにある鈴木昭男「点音 in アローブ」です。こちらはキャプションは見当たらなかったので鈴木昭男の公式サイトで確認しました。

 点音(オト・ダテ)は名古屋市美術館にもあり、拝見したことがあったので発見することができました。名古屋市美術館にあるものと違い、階段の踊り場にあるからでしょうか、床に直接描かれていました。

 昨日は日中、縫い物をしていました。わたしは縫い物を生業にしていた時期があります。やめてしまった理由は様々にあるのですが、それでも「どうしても」と懇願していただいたりすれば作ることもあります。従って、ほとんど全てのものがオーダーメイドとなります。
 オーダーといっても、大抵の方は大きさは気にされないので採寸をすることは少ないです。ただ、形となるとやはりみなさんこだわりがあります。こういうのがいいでしょうか、と絵にしてみてもなかなか伝わらない。わたしも自分に似合う形はわかっているけれども、その方に似合う形というと着ていただかないとすぐにはわからない。
 そういう時のために作れる形をあらかじめいくつか用意しておこうと思い至りました。それが今年の初め。ゆるゆる作り始めてようやく一着。昨日完成いたしました。

 作っていて、自分にはこれくらいしか特技がないと思う反面、縫うこと自体はとてもとても苦痛であると感じます。全然うまくいかない。縫い続けなければうまくならないけれど、縫うことで枯渇して、縫うことの副産物をどこかで発散させなくては動けなくなってしまいます。
 バイトを「時間を売っている」なんていうけれども、わたしにとっては縫うことのほうがよほど時間を売っている。しかもそれは外に行くより随分と薄給なのです。
 手縫いを続けることを「こだわり」と称され、作れるものだけ作っていることを「お芸術」と言われ、それでも縫い続けてるのって何故なんでしょう。どうしてすっぱり、全部の道具を処分して、わたしはもうやらないと割り切れないんでしょうね。

 あゝ、苦痛だ苦痛だ。と言うのはお客様に失礼だと思ってあんまり言わなかったんですけど、本当に苦痛です。でも産みの苦しみなんだと思うしかないです。それを神秘だとかいいたくないですけど。無痛分娩できるようになるまで踠くしかないんでしょう。とりあえずインプットとアウトプットの均衡が保てる丁度いい塩梅を模索し続けます。

 それではみなさま、強い雨です。ご安全に一日お過ごしください。

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