周りの言う成功や目標でなく、自分の内側から生まれた答えに従おう 【ぬいぐるみパパのツイート解説#138】
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
誰でも彼でも挑戦しろ夢を追えっておかしいと思うんです
そんな事こそ人に指図されるもんじゃないし
観察する楽しみもある、成長を見守る楽しみもある皆それぞれの人生の最高の楽しみ方をしたらいい
外の大声に惑わされず、自分の内側の小さな声にこそ耳を傾けよう
自分だけの楽しいが夢実現です
というお話ですが、僕はいつからか、成功とか目標達成っていう表現をなるべくですけど使わなくなって
と言うか、自分がそういうのを目指さなくなったっていう時期があって。
もちろん会話の中で「日本語としてここでは使った方が伝わる」という時は伝わりますよ。
使いますけど、そもそも僕が本音でそういうところを目指さなくなったってのがあるんですね。
僕は元々、コミュニケーションスキルを自分がマスターしても、本当に使いこなせるようになろう!どんな人とでも心を許し合えるコミュニケーションを自分で使えるようになろう!って決意し、トレーニングを徹底的に受けて
自分でもコミュニケーションスキルをトレーナーとして教える立場、指導する立場にもあったので、言葉っていうの一時期はすごく意識してて
自分にピンとくる表現じゃなかったら絶対使わなかったんですよ。
例えその言葉が必要な場面でも使わずに、別の表現に言い換える、みたいなこだわりよう。
言葉の一つ一つ、表現の一つ一つに、すごくこだわりを持ってた時期があったんですね。
で、「そんなのは所詮、上辺だけのテクニックだなぁ」と気づいてからは、全然そういうの意識しなくなったんですけど
それでも、自分の中でしっくりくる表現を、自分が無意識に喋る言葉として選択してるなぁ、という自覚は今でもあって。
最近は「夢実現」っていう言葉をよく使うんですけど、その夢実現も多分、一般的な感覚とはちょっと違ってて
僕の中では、「夢中」って言葉と密接にリンクしてる感覚なんですね。
僕の中には、まず「楽しい」というのが核にあって
楽しく生きる、楽しいことを毎日する、それが生きる理由である、ってのがストンと腑に落ちていて、人生の軸として確立してるんですよ。
楽しくなければ一切やる必要がない、とすら思ってて(すごい極論なんですけどね)
「楽しいことを夢中でやる」ことこそが生きがいだと僕は感じてる。
僕個人の意見なので、賛否両論あって全然いいんですけどね。
で、その夢中の状態を生きる軸として考えた時に、その「(夢の中と書いて)夢中になっている状態」を、夢実現をしている状態と僕は認識している。
つまり、毎日楽しければ「今まさに実現しているド真ん中」、って感覚なんです。
だから、ゴールを設定して目指すっていう意味の夢実現もあって構わないけど、僕のイメージでは
「夢実現っていう円があって(現象)、その中心に夢中になってる自分がいる(状態)」
だから、なんなら今もうすでに楽しいことが見つかってて、それをやっている毎日が楽しい、そんな風に生きている自分の生き方が楽しい、と思ってるんだったら、「毎日が夢実現している」という状態
っていうのが僕の感覚なんですよ、あくまでも感覚の描写なので表現としては伝わりづらいと思いますが。
僕にとっては明確なイメージで、実際にその環境が僕を取り巻き、包んでいる自覚があるので。
で、その世界観から派生したメッセージを、皆さんに毎日お伝えてるんですね。
ようは、毎日毎日満たされている、毎日満足している。
だから、これ以上もこれ以下もなく、何を望む、どこへ行きたい、とかっていうのもなく
その都度その都度、自分にとっての「楽しい」を選択している、という感覚なんですよ。
そういう意味では、何か成功を目指すとか挑戦し続けるっていう生き方が、決して万人にとっての正解ではないよな、ってすごく思うんですよね。
夢を追いたきゃ夢を追ったらいいし、成功を目指したきゃ目指せばいい。
僕も本気で目指してた時期があって、やりきって満足したから「うん、この体験は十分味わった。お腹いっぱい」ってなった。
だから今度は違うパターンで、本当に(潜在意識の自分、本来の自分が)やりたいことを本当にやりたい時にやろうと思って、穏やかに暮らしてる
という、段階があって今の状態に行き着いたんですよね。
なので、若いコがチャレンジしてみたい!って思うのも、本人の内側から熱い想いが溢れてきて、本人が望むなら大賛成です。
だけど、「チャレンジする人生こそが全てなんだ!」ってメッセージは、ちょっと人に押し付けてるようで違うな…と思うし。
そりゃ、チャレンジしたい人もいるだろうけど、別にしたくない人もいるだろうし
したくない人に押し付けたって仕方ないじゃん、と思うし
そもそも、本心から「したい」と思えるチャレンジじゃなかったら、やる意味あるのかな?って僕はすごく感じるんだよね。
すべてが楽しい、であるべき
「楽しい」発で「楽しい」着、みたいな。
(楽しいから始まり、楽しいで終わる、という意味)
全部が「楽しい」から派生してて、内側の「自分の楽しい」から生まれた目的や目標、ゴール設定だったらアリだと思うんですね。
追っかけてる時も楽しい、でゴールに辿り着いても楽しい
全部のプロセスが全て「楽しい」で埋まってる人生
それこそが究極だと僕は思ってるので、その「楽しい」を未来にとっておいて、そのために今を犠牲にするって、馬鹿げてるよなぁ
というのを、自分の人生を振り返っても感じるし
それこそ、もったいない時間の使い方、人生の使い方だなって思うようになったんですよね。
こんなのも、様々な価値観や正義感、いろんな人の意見があって当然なので、僕は誰にも押し付けようとは思わないんだけど
そもそも、だって、生まれてきた理由が「未来に楽しみを取っておくために今は命を犠牲にする」って切なくありませんか?
「人生の限られた時間の一部を犠牲にするために生まれてきたんです」って、胸張って言えますか?っていう話だと僕は思ってて。
せっかく生まれてきたんですよ?
だったら一秒一秒、全部生きてる時間で
いつ終わるかも分からない、この貴重な時間を
なぜ我慢のために使わなきゃいけないの?
って本気で思うんです。
こういうのも、人に言われて「あぁ、そうか」じゃなくて、自分の内側から納得しなきゃいけない部分だと思うから。
だから僕は全ての人に対して、まだ軸が確立してなくて、まだモヤッとしてたり、自分の中でストンと腑に落ちる部分がないんだったら
まず、自分の心と向き合いましょう、感情と向き合いましょう、内面と向き合いましょう、って話を最優先にするんですよ。
自分の内側から答えが出てくるから、必ず。
どう生きようと、自分の選択肢な訳だから。
人に指図されて生きていくことほど「自分の命をもったいなく使っている」ことってないんじゃないかな?
って、僕自身がちっちゃい頃から、ずっとそういう人生を生きてたから、早いうちにそれで挫折したから、すごく強く感じるんですよね。
大人になって、「やっぱり自分の命なんだから、自分の望むように使いたい、燃やしたい、有効活用したい」ってすごく感じるようになって
僕もジェットコースターのように山あり谷ありの時期を、たくさんチャレンジしながら成功した経験があるので、そういうのも全然否定しないけど
それを良いと思うかどうかも、やっぱり人それぞれだよね、と。
登山をしたい人もいれば、ピクニックでのんびり行きたい人もいる。
ジェットコースターのように猛スピードで駆け抜けたい人がいれば、落ちるスリルを感じたい人もいれば、ゆっくりゆっくり景色を眺めたい人もいる。
だから、誰にも押し付けない。
モチベーターみたいなテンションを上げる人ほど「俺も頑張ってるから、お前も頑張れ!」みたいなことを言うんだけど
「いや、あんただけ頑張れ」って僕は思うんですよ(笑)
もちろん、そういう存在は貴重だっていう人がいたら、そういう仲間と集えばいいし、そのノリで行けばいいと思うけど
みんなが外に(意識の)矢印を向けずに、自分の内側に矢印を向けて、自分自身を充実させてれば、全てが完結すると僕は思ってるので。
人にどうこう言われるからじゃなくて、自分がまず満たされる、というのがすべての答えかなと思って、お話させていただきました。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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