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一人っ子コンプレックス!

題名の通り私は、一人っ子である。

そして最近気がついたことがある、一人っ子がコンプレックスであるということに。

母親にはたくさん愛情を注いでもらった。もちろん父親もいる。ごく一般的と言われるであろうふつうの家庭だ。
なにか虐待を受けたわけでもない。
両親が不仲だった訳でもない。(と思う。私からは仲良く生きているように見えている。)

だが、なんだか得体の知れない生きづらさを抱えて生きてきた。
大学4年生、就活もすっかり終わって落ち着いた頃にふと気がついた。

「私の抱えてる生きづらさって一人っ子だからじゃね?」

見事なまでの責任転嫁である。

その時考えた一人っ子の生きづらさはこうだ。

  1. 将来が不安であるということ

  2. 他人との距離感が上手く掴めないこと

  3. 正しく怒れないこと

まず1の将来が不安であるということから説明して行きたい。

そもそも不安のない人間など居ないと思うが、私の思う一人っ子が抱える暗さを知って欲しい。

私は幼い頃、両親が仕事へ行く時、どんなに眠くても必ず起きて「行ってらっしゃい!」と手を振って見送る子供だった。両親から見れば素敵な一人娘だったと思う。だが、私はこれが最後の別れになるかもしれないしという気持ちで手を振っていた。せめて最後はちゃんとお別れをしておかねばと。
小学校の頃からこんなことを考えていたのだから、変な子供だったと思う。

そう、何故こんなことを考えるようになったか。

両親が死んだら自分は1人になってしまうと幼心に理解していたからだ。
母親が買い出しに行く時には、出掛けた時間を予め確認しておいた。
交通事故に遭っていないだろうか、スーパーに強盗が入って帰れなくなっているんじゃないだろうか、急に体調が悪くなって倒れているんじゃないだろうか。
幼いながらにいろいろ考え、不安になりながら宿題をしていた。
母は必ず帰ってきてくれた。良かった生きてたなぁと私は母親を玄関に迎えに行った。

そんなこともあってか、私は結婚しなければならないという強迫観念に襲われることになる。
両親が死んでしまう前に旦那さんを見つけて、葬式とか私の精神を支えてもらわなくちゃと。
他人に頼り切って生きていきたいという魂胆がダダ漏れである。
そのためにも、専門系の高校に通っていたが、地元のFラン大学に入学した。実家を離れて一人暮らしもした。当時は、1人で生きていく強さを身につけなければと思っていた。
結果的に、素敵な悪友に同期や尊敬しっぱなしの先輩方、私のことを完全に舐め切っている可愛い後輩たち、誕生日にディズニーランドへ連れて行ってくれた当時の彼氏など、たくさんのいい出会いがあった。
でも結婚はできそうもない。むしろしなくてもいいか、とさえ思ってしまった。私の凝り固まった人生観をぐにゃぐにゃにするには十分な4年間だった。大学はいいゾ〜。

話を戻す。
2の他人との距離感がうまく掴めないことについてだ。

一人っ子は喧嘩を経験せずに成長する。
(と思っている。もしかすると私がマイノリティーかもしれない)

何故か。
全て自分のものだからだ。

このように書くと、なんだよ一人っ子自慢じゃないか!と言われるかもしれないが、誤解しないでほしい。
手に入らないことがないので争わない、争えない。争う機会がない。意見を言う経験も、仲直りをする経験もない。他人に否定ができなくなるのだ。

この件の記憶で印象的なのは、小学校2年生の春頃。『はるのいきものをかんさつしよう』という内容で、学校の校庭に居た生き物を採集・観察する授業があった。
私の班は、何故か虫籠いっぱいのおたまじゃくしを捕まえた。うようよしていてとても気持ち悪かった。私は生き物が全般で苦手である。
その後はどういう経緯だったかは覚えていないが、私は1人で泣きながらおたまじゃくしの入っていた虫籠を水道で洗った、という記憶がある。おそらくだが、私がいやだと言えずに回ってきた汚れ仕事だった。どうにか事情を察した先生が助けてくれてことなきを得た。
その後、どうにかこうにかその話が母親に伝わり、「嫌なことされたら、嫌だってちゃんと言わなきゃだめなんだよ」と言われた。とても当たり前だが、そんなことすらできないまま小学校に入学していた。

これは3の正しく怒れないことの一番古い記憶にもあたる。

私には正しく怒るという機能がない。
なんなら否定もできない。
嫌なだと感じることはある。だが、すぐにまあいっかと思うし、次の日には忘れている。

きっと正しくは忘れていない。心の奥底に仕舞い込んでいるのだ。自分の気持ちにとても鈍感である。
これはとても辛い。確実にどこかのタイミングで爆発するし、その爆発の仕方が予測できない。
爆発しても、助けを求められない。

何故か、めちゃくちゃに気にしいだからだ。
相手の気持ちを推察しまくって生きている。
おかげで、手のかからない優等生のような一人娘だったと思う。

一方で溜め込む性格になってしまっていたため、大学へ入学し、一人暮らしをしていた頃は酷かった。生死感がグラグラだった。自殺未遂こそしなかった。そんな大層なことをする勇気もないし、両親を悲しませてはいけないという一人っ子の呪いにかかっていたからだ。なので、病むとすぐに消えたいを連発し、存在ごと消してほしいと願っていた。

のちのちに、HSP気質であることを知る。この時は、まさにこれじゃないか!と感動したのを覚えている。
そう、私は一人っ子として、1人で生きていくために、1人であらねばならぬと自分に呪いをかけていた。その結果、HSP気質になり、他人に助けが求められなくなり、ひとりぼっちの部屋でがんじがらめになりながら、消えたいと願っていたのだ。

そもそも一人っ子にもいろんなタイプがある、と感じたのは大学へ入学してからだった。私は大学生活の中で、5人の一人っ子たちに出会った。皆口々に、結婚しなくちゃであるとか、両親の介護や葬式はどうするかと大学生なのに考えていた。みんな呪いにかかっている。

その中でも、私が出会って衝撃的だった一人っ子は、ずっと喋り続けるタイプの一人っ子だ。そりゃもうずっと両親に話を聞いてもらっていました!と言わんばかりのその人は、幼少期も活発で、友人ともそれなりにぶつかり、和解し、今に至るのだと話してくれた。
兄弟構成で、多少なりとも性格は似ると私は考えていたのだが、その人とは全く被る部分がなかった。恐ろしい。

またある人は、私とだいぶ被るタイプの一人っ子だった。1人の時間がないと無理だね、と言って2人で飲み会を抜け出したことを覚えている。被るところは多かったが、その人の抱えているものの多さは凄まじかった。途中から大学へ来なくなり、音信不通になった。今も元気だといいなと思っている。

一人っ子だったことで、良かったことはたくさんある。というかむしろ良かったことしかない。お年玉はたくさんもらえたし、誕生日プレゼントは親戚一同に一品ずつ請求した。それでも許された。従兄弟の兄弟喧嘩が始まれば、びっくりした幼い私が泣き出すことで喧嘩は終わったし、裕福とは言えない家庭だったと思うけれど、大学へ進学させてもらえた。
愛情はたくさん注いでもらった。生きているのが申し訳ないほどである。世の中にはもっと大変な思いをしている人がいると言うのに、私はこんなに平和ボケしている。殴られても仕方ない気がする。こんなあまちゃんな私は、みんなにどう映っていただろうか。

一人っ子で且つ、平凡に生きてきた私のような人にこの記事が見つかってほしい。
一人っ子を持つ親御さんにも、そして将来の家族構成を悩んでおられる親御さんたちにも。
一人っ子はこうして生きていきます。

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