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12月24日 未明

ちゃぽん、と思っていたよりも軽い音を立てて、長年使い込んだ白いiPhoneが海に沈んでいく。大学時代から、かれこれ5年使ったiPhoneだった。思い出は沢山あったし、これが無くなってしまえば連絡を取れなくなる人が大勢いる。昔好きだったサークルの先輩や、1番可愛がっていた後輩、定期的に連絡を取り合っていた親友。長らく会っていない両親。

12月の夜の海は風が強く、身体を強く揺さぶり、今にもどす黒い海面に突き落とそうとしてくる。海は満潮で水位が高く、腰かけている堤防からほんの数メートル下に海が広がっている。空には満月を迎え徐々にかけ始めた月が、流れの早い雲の隙間から時々顔を出す。これが最後に見る景色か。

最後にインスタのストーリーでも見ればよかったな。そういえばあの人は元気だろうかと昔好きだった先輩を思い出す。ちょっと連絡してみようかと思い、iPhoneを探すも見つからない。そうだ、連絡を取ろうにも、連絡を取る手段はつい先程自分で手放したところだった。現代人の悲しい習慣に苦笑する。

誰も悪くない。きっと自分も悪くない。そしてこの世界も。ただちょっとだけ疲れたのだ。疲れてしまった。こんなの深夜のTwitterを漁ればタイムラインにごろごろ転がっている。ありきたりで既出。二番煎じ。模倣。パクリ。エトセトラ。あぁ、誰か迎えに来てはくれないか。この暗闇から助け出してくれないか。

海面を見つめる。目を閉じる。波の音を聴く。
誰が最初に気がついてくれるだろうか。現実的に考えて会社の上司だろう。おもしろくない。その後マンションに警察が来て、遺書なんかを探すんだろうか。朝の支度をしたままの散らかった部屋に警察官は何を思うんだろう。葬式は行われるだろうか。誰が来るんだろう。先輩は来てくれるだろうか。両親は悲しむだろうか。
そんなことを考えているうちに、どんどん海面と意識が近づいていく。

12月の夜の海は寒いだろうからと相当着込んでいた。このまま堤防から落ちたら確実に上がれないだろうな。小学校で行った着衣水泳を思い出す。
そういえば最後にやりたかったこと出来て良かったな。
昔読んだ小説に携帯を海へ投げ捨てる描写があった。
あの本のタイトルなんだったっけ。

ばしゃん。さっきよりも大きな音と衝撃。
真冬の海は冷たい。このまま意識は遠ざかるだろう。何せ泳げない。
空は先程よりも厚い雲が立ち込め始めていて、月は見えなくなっていた。明日は雨かな。

今日は12月24日。24回目の誕生日だった。

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