呼吸するように日記を書きたいので、あえてnoteではなくInstagramで書きます。
結論、フォローおなしゃす🫡
以下駄文です。
いきさつ
年に一、二度ほど襲ってくる体調不良のせいで、意識が朦朧とし、現実と空想が行ったり来たり。心ここにあらずな惰性生活を送っていました。
(誤解をさせてはいけないので書きますが、がっつり39℃の熱が数日間出て、瀕死してました。仮病ではありませんので何卒!)
そんなときに心のオアシスとなってくれたのは「とある人の日記」だったのですね。
個人的に意外だったのは、noteではなくInstagram。素朴ながらも芯のある写真と文章。気づいたら2時間も読み漁っていました(こんなのはじめてだ)。
1,000件以上の投稿にはその方自身の歴史があり、そこにはわたしが計り知れない悔しさや喜びがきっとあって、日常の尊さを痛感しました。
わたしはつい「こんな自分になりたいなあ」と超絶未来志向を発動し、身近なものへの感謝が薄れてしまう質なのですが、日々に散りばめられている小さな輝きを決して逃してはいけないな、と。
そんなことを思っていたら、Instagramを開設してしまいました。
ここ一年程、わたしの中でのトレンドに「やらないことリストを殴り書きする」があるので、記念にここでも記しておきます。
おそらくこのアカウントでも人格は分かれると思います。フィードは「日常の記録」、リールは「ショート動画ラジオ」的な棲み分けでやっていけると面白そうです。A面B面の両方を一気に見せれるので。
自己理解コーチング『ウミダス』への集客にも繋がればいいな、という下心を抱きつつ、別にならなくてもいいかなあといった心構えです。
現状、本音のど真ん中は、日記を積み重ねた先の未来に自分を連れていく、です。いつまで続くかわからないので、念の為保険をかけておきます。
愚痴、嘆き
公私共にお世話になっているサービスに恩を仇で返すようで申し訳ないのですが、最近、noteで書くハードルがますます上がってしまいました。
わたしの本業が取材ライターなこともあり、絶対に思い込みなのですが、なんでしょう……あなたの文章、お手並み拝見と言われている感覚がして。
何よりもわたし自身に「ライターなんだから」と審査員をしていて、そりゃあ窮屈だよね。
視点と解釈、写真と文章。
これらを呼吸するように吐き出したい。そんなわがままを叶えてくれるのは、意外にもInstagramなような気がしています。
中高生時代は交換日記を5冊も止めてしまい、日記は三日坊主なわたし。いつまで続くのかも見物ですね。
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