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立命館大学初代生命科学部長谷口吉弘先生に聞く、BKCの誕生にみる大学のイノベーション(1-2) 日本の産学連携の先駆けとなった大学改革(表紙写真Wikipediaより)


「立命館大学初代生命科学部長谷口吉弘先生に聞く、BKCの誕生にみる大学のイノベーション」(1-1)の続きです。



学生時代の英語学習

鈴木:先生は学内で40代からリーダーシップをとられていて、それと同 時に専門の研究の分野でも様々なご活躍をされていますよね。

谷口:そうです。今も、僕は研究者ですよ。当時、研究者というと、日 本では、常に「どこの大学を出ましたか?」「どの先生について いましたか?」ということが、研究内容よりも研究者の評価対象 になっていましたので、京都の私立大学で博士学位を取っても、 全然評価されない話だと思っていました。僕自身は高校時代から 少し英語ができたので、卒業論文も修士論文も英語で書きまし た。博士論文は日本語ですが。また、僕の学生時代は、大学では 専門のテキストは英語か、ドイツ語で学びました。訳本がなく難 しい専門の化学を、英語で学習しなければならない時代でした。 そういう時代に教育を受けてきましたから、化学は英語で学ぶも のだということが、自然と身についていました。でも、難しい専 門の化学を英語・ドイツ語で学びますから、1、2年生はものすご く苦労しましたが、それがわりと自分に合っていました。例えば 卒論を英語で書くとか、英語の論文を読むとか、英語が好きなせ いもあってそういうことが出来たんだと思います。

その他にもこ んな経験があります。僕の知り合いの先生が、ハーバード大学を 卒業後、日本に帰って来られていて、日本で研究のために、先生 の家に常に外国人が訪ねて来るんです。その先生から僕に、研究 者の奥さんや子供の面倒をみるように頼まれました。奥さんには 辞書片手に買い物に付き合い、子供の宿題の手助けなどをするア ルバイトをしていました。そういうこともあって英会話は特段学 校で習った経験はありませんが、自然と身につきました。また、 その時に外国人に対する免疫みたいなものができて、今でもその 経験がずいぶん役に立っていると思います。

研究者として世界へ

谷口:一番の思い出は、卒業研究です。僕が卒業研究の指導教官の先生 を選んだ決め手が、ちょうどその研究室の先生が外国留学で、日 本に不在(助手の先生はおられました)ということで、そこに入 れてくれと頼みました。なぜかというと、先生に命令されずに、 自分のやりたい研究ができるからでした。研究室で自由に研究を させてもらい、大学院も同じ研究室を選びました。大学院在学中 に、卒論をもとに学術論文も英語で作成しました(最初の論文は 日本化学会欧文誌、Bulletin of Chemical Society of Japan)。だから早い段階から、研究者としての第一歩を踏み出 していたのだと思います。当時の立命館大学では、英語で外国に 論文を出すような学生はまれではなかったかと思います。そんな 中、僕はどんどん英語で論文を出していました。ドクターの終わ りの頃に、論文がもとで、フランスの学会から、プレナリーレク チャーをしてほしいという特別招待状が届きました。

鈴木:それは何年頃のお話ですか?

谷口:1970年頃です。はじめての海外での国際会議の最後に45分講演 しました。この会議には著名な、偉い長老の先生が2人、日本か ら来ておられました。それで、その先生はこの国際会議で20分間 の講演でした。立命館の僕が最後に45分講演をしたのでとても ビックリされていました。その当時、立命館大学は世界的にそれ ほど有名な大学ではありませんでしたが、立派な研究をして成果 を出せば、外国人は正しく評価してくれる、ということを強く感 じました。日本では立命館出身の大学院生が、日本の学会で話を しても特段の評価はありません。一方、海外では、どこの大学を 出ていようと、どんな先生についていようと関係なく、研究のオ リジナリティこそが大切で、研究の成果を正しく評価をされるこ とを知りました。この経験で僕はすっかり研究への自信がつき、 どんどん研究成果をあげて、英語で論文を書きました。

鈴木:それはすごいですよね。

谷口:日本を対象にしていたら、すごく小さくなって、今の自分はなか ったと思います。

鈴木:向こうでは、名前、肩書を一切見ないで論文の内容で審査しま す、という感じですよね。良いものであれば誰でも評価してくれ ますよね。

谷口:会議のオーガナイザーが非常に評価してくれたことは幸いでし た。僕が初めて出席した海外の国際学会だったにもかかわらず、 日本からフランスまでの航空運賃の補助が出たり、とても優遇さ れました。学会開催期間中、ワインもおいしかったし、みなさん がとても楽しくしてくれて、海外の国際会議ってこんなに楽しい ものかと思い、すっかり、国際会議のファンになりました。

谷口吉弘先生 (研究室にて2011)

鈴木:でも、日本の学会はそうじゃないですよね。

谷口:日本は全然違いますね。フランスの国際会議から帰ってしばらく してから、僕が国際会議で話した内容がすごく評判になって、海 外の研究者から研究へのお誘いを受けていました。ちょうどその 頃、京都で国際会議が開かれることになり、カナダの先生からお 誘いを受けて、オタワにある国立研究所で研究をすることになり ました。そこで、今まで立命館大学で行ってきた研究分野(熱力 学)とは異なる、当時最新の新しいラマン分光分野の研究(分光 学)を行いました。研究は困難を極めましたが、帰国直前になっ て、多くの優れた研究成果を残すことができました。

立命館大学ではじめての課程博士第1号の誕生

鈴木:先生は立命館博士、第1号と聞いてい ますが?

谷口:はい、僕は工学博士で、立命館大学の 博士課程(甲)の第1号です。みなさ んは理工学部で第1号の課程博士取得 者と思っているけれども、そうではな くて、立命館大学全体の課程博士 (甲)の第1号です。博士には甲と乙 があり、甲は課程博士(大学院課程に 所属して所定の単位を修得して、博士 論文審査に合格)、乙(大学院課程に 所属しないで、博士論文審査に合格)は、論文博士です。昔の博 士号は論文博士が主流ですが、各大学に大学院課程が発足してか らは、課程博士が主流になりつつあります。僕は立命館大学での 課程博士(甲)1号なので、今後、課程博士論文のすべての基準 になることから、京大博士論文に相応していることがふさわしい として、慎重に審査することが求められました。

このため、審査 員には京大の先生にも加わってもらい、京大で博士論文の内容についても講演し、博士論文提出、約1年後に審査に合格して、立 命館大学課程博士第1号が誕生しました。 博士論文の内容は伝統的な基礎物理化学でしたが、カナダでの研 究は世界の最先端の研究で、東大の分光学の流れを汲むものでし た。国際会議がアメリカで開催された時に、僕たちの研究がカナ ダの先生より紹介され、高い評価が下されました。「カナダにい る日本人が立派な研究成果をだしている。」ということが評判だ ったようです。帰国したら、東大の先生から電話があって講演依 頼をいただきました。そのことが縁で、東大の先生の研究室で数 年に渡り、ラマン分光の立ち上げを手伝うことになりました。い つも僕は、外国で研究の高い評価を受けてきました。

サイエンスとコミュニケーション

鈴木:先生は生命科学部と薬学部のアカデミックライテングを教えてい ますけど、どんどん学生さんにも躊躇することなく、発表して欲 しいという気持ちがおありですよね。

谷口:言葉はコミュニケーションだから、やっぱりコミュニケーション がきっちりできないとだめだと思います。書くのはまた違います が。構想力とか思考力の訓練をきちんとしないといけないでしょ う。大学を卒業した教養人として、一つは専門をきちんと勉強で きているということ、もう一つは英語が話せるっていうことが、 最低条件だと思っています。専門を理解できて、次に専門を英語 で話せるというのが今の大学生の基本要件じゃないかと思いま す。

鈴木:世界全体を見て、世界全体の人と仕事をしていくには、というこ とでしょうか?

谷口:特にライフサイエンスもそうですけれども、サイエンスのコミュ ニケーションはもともと英語なんです。そのサイエンスの文章立 というのは、短文、クリア、シンプルですよね。要するに、正確 に内容を伝えていかなければいけないので、英語はそういう意味 で日本語よりもすごく便利で有用な言葉だと思います。だからサ イエンティストになる基本要件は英語をどのように使えるかとい うことです。書くだけではなくて、やっぱり英語でコミュニケー ションができなくてはいけません。

鈴木:そうですね、英語で一緒に仕事や研究ができないといけないです ものね。 それが必要最低条件だと思いますよね。 サイエンティストはやっぱり、一人では研究できないのでしょう か。 数学や理論物理は別でしょうけれども、やっぱり実験研究ではグ ループあるいはチームで研究することが多いです。初めてカナダ で研究生活を送った時も、10時のコーヒータイム15時のティー タイムが毎日ありました。常に、誰とどこに行ったなど、研究の 話以外でもすごくコミュニケーションをとりますよね。フランス でもワインを飲みながら常にしゃべっていました。日本人はしゃ べらなさすぎる気がします。だからコミュニケーションをするっ ていうことは非常に大事で、ふと気が付くことがあってアイディ アが湧いてきたりするので、一人で考えていても限界がある気が します。日本ではコミュニケーションというのが、すごく軽んじ られているという気がします。情報社会の中でPCや携帯の普及に より、人と顔を見て話ができない、コミュニケーションができな い子供が増えてきているように感じます。要するにコミュニケー ションができないということは自分の存在がなくなっちゃうわけ ですよね。 自分はこうである、自分の言いたいことはこうであるということ を。

谷口:そうそう。

鈴木:それから、相手のことを聞かないといけないですよね。向こうで は、常に誰かともっとしゃべってますからね。

谷口:しゃべっているでしょ。僕はね、日本ではインターネットや携帯 がものすごくコミュニケーションを阻害しているように見える。 僕は1年生の授業の中で、「君は自分の顔が見えるか?」、「見 えへんやろう?どうして自分の存在を確認してるんや?」と質問 しています。「相手と話をすることで自分の存在がある。だまっ ていたら自分の存在を確認できないだろう」だから話しなさい と。

鈴木:表現しなさいと常に言ってるんです。 表現者じゃないと、どうしても生産者じゃなくて、消費者になっ てしまう、受け身になってしまいますよね。

次回は、「留学生受け入れ等における谷口先生の活動について」をお伺いしま す。

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