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偉大なる猫

うちで長く暮らす猫の話だ。

彼女についてよその人に話す時は、まず年齢のことから入る。25歳以上。
なにせ、今はもう成人して働いている長男を産む前からのつきあいである。うちに来た時は既に子猫ではなかったから、正確な年齢はわからない。
なんだかんだで我が家で暮らし始めてから、25年はゆうに経っている。
いくら最近のペットは長寿傾向とはいえ、長生きにもほどがあるのではないかと思っていた。

綺麗な三毛猫で、目は澄んだ黄金色。瞳にきらきらとエメラルド色が細く混じる。小柄でしなやかな体つき。黙って座り風に揺れる木の枝を眺める姿には気品さえあって、そしてとにかく、キツい性格であった。
我が家の飯を食う仲だというのに、撫でさせてもくれない。私と目が合うたびにシャーッと唸った。にゅうーん、にゃあーんと可愛く鳴くのは餌を準備している時限定で、食べ終わったらすぐに「何を見てんだ!」とばかりにシャーッと威嚇する。
まるで田舎のヤンキーのようだった。

そんな彼女の態度が軟化したのは、同居歴15年目くらいの頃から。
目が合っても怒らなくなったことに気づいた時は、どこか具合でも悪いのかと本気で心配したものだ。検査の結果、まったくの健康体であった。
怒らなくはなったが懐いたわけでもない。ただ、こちらの気のせいか、なんとなく距離が縮まったような空気がお互いの間にあった。

甘え始めたのは同居歴18年目だったろうか。
餌の支度をしているわけでもない時に、私の顔をまっすぐに見て
にゅあーん、にゃあーん、なぁーんと甘え鳴きをした彼女に、腰が抜けるほどびっくりした。なんだなんだ、一体どうしたんだ。お前に何があったんだ。
どうやら普通に甘えてるらしいと判断し、顎、耳の後ろ、鼻筋からすーっと背をなぞり尻尾のつけ根まで撫でてみたら、ゴロゴロと喉を鳴らし身を任せてくる。……猫の18歳は人間でいえば88歳くらいだという。もしやボケて、赤ちゃん返りをしているのだろうか。心配しつつも初めて見る彼女の甘え顔は可愛くて、要求に応えて何度も撫でた。
撫でられるのに飽きた瞬間、鋭いパンチをもらったが。ボケてなかった。

高齢猫につきものの腎臓の機能低下は避けられなかったが、フードの種類や日々の体調に気をつけてさえいれば重篤な症状に陥ることはなく、猫の日々は穏やかに過ぎていった。20歳の春を超え、21歳の冬を超え、ことさら猛暑で体調は大丈夫かと気を揉んだ22歳の夏を超え。
段々痩せていって、背を撫でるとコツコツと骨を掌に感じるほどになっていたが、まだまだ元気な23歳の秋を超え。飯を食い思う存分昼寝をし、甘えたくなったら甘え、時折パンチを他人に食らわし。

24歳の春、毎日夜半過ぎに凄い声でがなり立てるようになった。どこかに痛みがあるのかと思ったらそうではなさげで、昼間はケロッとしているのだ。診断結果もこれまでと特に変わったところはない。ただ夜が更けると虚空を睨み、がおがおと喚く。まるで子猫が母猫を呼ぶときのような表情だ。もしかしたら、ついに認知症状が出始めたのかもしれない。
猫の24歳といえば100歳はとうに超えている。幸い、隣近所とは離れているので近所迷惑になることもない。昼間はしゃんとして相変わらず好きに過ごしているのだから、無理になにか働きかけることもあるまいと諦めた。

今年、猫は25歳を超えた。ネットニュースで、イギリスに住む猫のフロッシーさんが26歳329日で、存命中の猫としては世界最高齢と認定されたという記事を読み、うちの彼女が26歳を超えたら申請できるのかな、でも家に来た時に子猫じゃなかったから、何歳という証明ができないんだよなあと思っていた。
私の顔を見て、猫が歩み寄ってくる。相変わらず気品溢れる姿だねえ、美しいね貴女はと声をかけたら、にゃんと返事をして座った。ゆっくり撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。手を止めて、他の用事をしようとすると彼女は目を開け「もっと撫でなくてよいのか」「撫でても構わないのだぞ」というようにもう一度鳴いた。笑ってしまい、またゆっくり全身撫でる。

耳が遠くなったようだけど、こちらが何か言ってるのは感じるらしい。そして目も悪くなり、小さなものを追えなくなった。でも、私の姿は見えていて誰かも理解しているようだ。ふと、前足の先がやけに小さくなっているように感じた。全身が縮んでいるようだ。人間のおばあさんも体が小さくなるけれど、猫もそうなのかね。
掌にコツコツとした骨、しかし温かさとゴロゴロと喉を鳴らす振動を感じながら、いつまでも撫で続けた。彼女は怒らなかった。

今朝、猫は息を引き取った。

よく食べ快便であったが、いつもと変わらぬ様子だったが、今朝横になり、眠っている内に天に召された。

家族や周りの人達とよく、長生きしすぎて元気過ぎて怖いと笑っていた。
猫が老いると猫又になる、その尻尾は二股にわかれるそうな。彼女のしっぽを確認したりもした。
死ぬことを忘れているのかもしれないな。まだ忘れていてくれて構わんよと思っていた。が、ついに思い出してしまったようだ。

まだ忘れていてもよかったのに、ねえ。

神様、そちらに本日参りました猫は、我が家で暮らした猫でございます。
甘えても媚びることなく、どんな時も美しく誇り高くあった、偉大なる猫でございます。
どうぞお膝にてお慈しみくださいませ。なにとぞお頼み申し上げます。





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