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老いた私の目が見せるもの

前記事(誰がそこまで見せろて言うた|ぬえ (note.com))に引き続き、
目というか見え方の話。

中学1年生くらいからドがつく近視である。
授業中に、なんだか黒板の字が見えにくいなと思ったら、みるみる身の回りのもの全ての輪郭がぼやけていた。
30代から乱視も加わって、眼鏡やコンタクトレンズを装着していないと、常に水の中で物を見ているような状態である。

50代となり老眼までスタート。近視・乱視・老眼がトリプルプレイで視界に襲いかかってくる。
観劇する、車の運転をする、本を読む、何かするたびそれぞれに眼鏡を替えたり外したり、まあとにかく忙しい。
なんとか今の内は対応できているが、これ以上目が衰えたら現在楽しんでいる映画・ドラマの鑑賞や、読書に差し障りが出てくるのではないか…いずれは全く見えなくなるのではという恐怖がある。そこまでではなくとも、視力の調整に追われることに疲れ、趣味への気力が削がれてしまうことは十分にあり得る。
そうなったら何を楽しみに生きていこう。

…と、鬱々とした気持ちに憑かれ始めた時だ。
眼鏡を外した状態で寛いでいて、ふとPCに目をやって驚いた。何かの広告だと思うが、クロード・モネの絵画「睡蓮」が表示されている。その絵は、今まで有名な画家の絵だからとなんとなく眺めていた、どの「睡蓮」よりもはっきり鮮明に、美しく見えたのだ。驚いてもっとよく見ようと眼鏡をかけたら、見慣れたボヤッとした絵となる。
これは一体…?と、何度も眼鏡をかけたり外したり試している内に、むかし足を運んだ「モネ展」でのことを思い出した。

目を留めたその絵は画面いっぱいに、桜色珊瑚色、若竹色若葉色常盤色、
葵色鳩羽色浅紫色、とりどりの線がうねうねと踊り、綺麗だとは思ったが正直なにが描いてあるか、さっぱりわからない。首を傾げながら絵の前を離れ展示室を出ようとして、ふと振り返ると、先ほどさっぱりわからないと思った絵の中に夕暮れの静かな水辺とそこに浮かぶ睡蓮の花、すらりと水面に伸びた柳の枝が現れていた。
離れたところから近視の目で見て初めて、それが睡蓮だとわかったのだ。

それと似たようなことが、現在起こっている?

もの知らずでお恥ずかしいが、もしやモネは目を患っていたのだろうか。
その彼が表現した世界を、視力が衰え乱れたからこそ、しっかり受け止められているのだとしたら。
私は興奮し、PCの画面で幾度もぴょんぴょん飛び跳ねた。

おそらくこの先は、時間と共に失うものもできないことも増えていく。
しかしこんな風に、思いがけない宝が発掘できるのだとしたら、
うん。悪くない悪くない。
この調子で、私は老いの道をゆく。


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