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遺影考

実家の祖父母の部屋の長押には、白黒写真で40代くらいの男性の写真が掲げてあった。父そっくりなので、おそらくだが若い頃の祖父だな…なんで自分の写真をあそこに架けてるんだろうと思っていた。祖父は当時健在であったからだ。祖母に問うと、溜息をつきながら「俺の葬式の遺影には、あの写真使ってくれって言うんだわ」と答えた。それを聞いた父は「冗談じゃない、参列者に俺が死んだと勘違いされるじゃないか」。

果たして祖父が亡くなった時に実際に使われた遺影は、孫の結婚披露宴で撮った80代当時の写真だった。年相応。私はまだ若かったゆえ、祖父のような老爺に外見的若さへのこだわり、昔の自分の美貌を惜しむ心があったことが意外であった。今の私ならそういう男性だっているであろうと頷くし「故人の遺志を尊重して、その写真使ったら?」と父に意見するだろう。いいじゃないか、それくらいの我儘を通しても。

故人の遺志を尊重といえば、母方の祖母の遺影は変顔寄り満面の笑みでのダブルピース姿であった。訃報を聞いて駆けつけた私はめんくらい、叔母に「このご遺影…」と訊ねると「おばあちゃんが、どうしてもこの写真を使ってほしいって言ってたのよ。遺影だけに【イェーイ】って…」
喪服で御数珠を握りしめたまま、耐えきれず吹き出した。死んでから笑いを取ろうとすな。叔母も加担すな。

しかし、あのおばあちゃんならひとネタ仕込んでから逝くくらいはするであろうなという遺族間の納得の空気の中、そしてその遺影のおかげか、通夜から収骨、初七日法要まで終始和やかに執り行われた。涙はなく、故人の思い出話と曽孫達のキャッキャという声とが途切れぬ、至極結構なお別れの場であったと思う。


「親父、最近撮った写真あったかなあ」と夫が言う。
「米寿のお祝いで温泉旅館泊まった時、お義姉さんが撮って送ってくれた写真がいいお顔してるのよ」と答える私。そこに義母が
「おとうさん(夫)、10年くらい前に撮ってあるんやて。遺影」
「えっ、そうなんですか?」

驚いた、全然知らなかった。

「10年くらい前、近所に葬儀場ができたでしょ。そのオープン記念の見学会で遺影作ってくれるサービスがあったんやて。そのときに」
「用意してたんですか…あれ?でも、お父さんのそんな大きな写真は見たことありませんよ。仏間の長押に掛かってるお写真、先先代と先代のおじいちゃんおばあちゃん達ですよね」
「出番が来るまでしまってあるの、お仏壇の中に」
「ある意味、適切な収納場所ですね」
「10年前だから、80歳くらいの時の顔になっちゃうけど」
「いいんじゃないですか?それくらい」
義父が気に入っているならば、どちらでもよろしい。

義母がもじもじしながら続けた。
「実は…私のもあるんやけど」
「あ、お義母さんもお父さんと一緒に作ったんですか。葬儀場オープン記念サービスで」
「いや、友達みんなで。どうせなら綺麗に撮ってもらおうよって話になって、おめかしして写真館予約してみんなで行って作ったの」

なんだなんだ、とても楽しそうじゃないか。
義母と友達が連れだって、おしゃれをし美容院で髪を整えて綺麗に化粧をし、わいわいと賑やかに写真館でモデルになっている姿を想像する。
門出を華やかに明るく飾る肖像写真だ。
そんな友達が80代になっても存在する義母が好ましいし、ちょっと羨ましい。私も見習いたい。

義母がそうして準備した遺影は、恥ずかしいからとまだ見せてもらっていない。保管場所だけは教えてもらったから、その日が来たら義母のとっておきの写真を拝もうと思う。

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