なんとかしましょう、お義母さん〜鬼と葛藤編〜
なんとかしましょう、お義母さん~業者相談編~|ぬえ (note.com) の続き。
溜まりに溜まったモノを片づけるにあたり、念のため義理の両親と夫に確認した。骨董的な価値あるものはないですよねと。先々代、先代とおじいちゃんが亡くなるたびに口が巧い正体不明の誰それの訪問があり、その都度やきものだの掛軸だの、なにやかやと持ち去っていった。きっと高価なものだったのだろう。だから今現在、我が家にはそうしたものはないという返事だった。実際、私がこれまで暮らしてきた間にも目にしたことがない。文化財を間違って処分する可能性は極めて低い、安心して捨てまくれるということだ。捨てられない理由は、家族としての思いだけ。
そしてそれを振り切って実行できるのは、私だけだ。
心を鬼にして取り掛かることにした。
R工務店のTくん、設計士のGさんに両親の寝室を見てもらう。開かずの間となっている2つの納戸のうち1つを解体して部屋を広くし、もう1つをウォークインクローゼットに改装して使い勝手をよくすることにした。また義理両親の部屋からトイレに続く廊下へのドアを引き戸にし、廊下の照明をセンサー式に変更。トイレから更にその先の食堂まで、手すりをつけようという計画だ。
「これで夜中に起きても、今までよりは楽に動けると思います」
「これはええね。…ただ、そうすると。廊下のモノは片づけなあかんかね?」
義母が心配そうに言った。
昔ながらの暗く狭い廊下には棚が置かれ、暗く狭いゆえに手も目も届かず、棚の中には十数年動かしていなさそうな雑貨が無秩序にぎっしり詰め込まれている。銀行に定期預金した時もらったキャラクターつきのポーチとか。町内会祭りのビンゴで当たった100均のボードゲームとか。プロパンガス屋の粗品のうちわとか。これまで使われず、この先も手に取られることはないであろうモノどもが恨めしげに折り重なっていた。それらの上に、日常的に義父が被る帽子がぽんと置かれているだけだ。
「片づけましょう。というか、捨てられるモノは捨てましょう。私、処理センターに持っていきますから」
これ、使います?使いませんね、はい。これもですかね。そうですか、ハイハイ。と確認しながら45リットルゴミ袋にどんどん詰めていく。空っぽになった棚は、新しく整った寝室に置けばよい。
ここまでは快調に進んだが、その先に待ち受けていたのは屋内最大の難敵、2つの開かずの納戸であった。取り壊す予定の小さなほうは床から天井までこまごましたものがぎっちり詰まっている。こちらは廊下の棚と同じく不用品を捨てまくればよいだろうが、ウォークインクローゼットに作り替える予定の大きなほうは。義理の両親の寝室なので私はこれまで納戸に立ち入ったことがなかったが、なぜ「開かず」だったか、すぐにその理由はわかった。
納戸の中に大きな洋箪笥ひと棹と和箪笥がふた棹、嵌め込まれているのだ。洋箪笥を開けると壁ぎりぎりに扉がくるので、その前には人が立つスペースがない。同じく、引き出しも大きくは引けず衣類の出し入れがしにくい。使いづらいことこの上ない為に自然と立ち入らなくなり、使わないものを放り込むだけの場所になった、それがどんどん溜まっていって更に使いづらく…という、悪循環の見本のようになってしまった場所だ。そして廊下と違い、こちらには長いこと触ってはいないがそれなりに思い入れあるモノが山とあって、義母の葛藤が始まってしまった。
立派な革のコート。
バブル期頃のものだろうか、今のご時世ではなかなか見られない、しっかりした縫製で重厚贅沢な逸品。
「これ、高かったんやて」
「そうでしょうね」
「あんた着ないかね」
「申し訳ないです、私はお義母さんよりかなり大きいので…他に譲るか、いずれにせよ手放さないと」
「でも、高かったんやて。まだ取っておいて、私これから着ようかね」
「ちょっと一度、羽織ってみてください」
「……重いわぁ…」
30年前ならともかく、80代の義母にとっては甲冑も同然の重量だ。これを着て出かけるなど、とても無理だと諦めた。洋箪笥の中身の、ひとつひとつにそうしたやり取りを繰り返して、9割は処分というところまで漕ぎつけた。
「Mちゃんの着物があるんやけど」
「Mちゃん…すみません、誰でしたっけ」
「Rちゃんの下の」
「ああ、M子おばさんでしたか」
Rちゃんとは義父の妹、Mちゃんは更にその下の妹。今年80歳になるという彼女は遠い地にお嫁に行き、夫の祖母(つまりMちゃんにとっては母にあたる)の三回忌以来こちらに帰ってきていないので、私は20年顔を合わせていない。
「亡くなったおばあちゃんがね、Mちゃんの娘時代の着物を和箪笥ごと取っておいたんだわ。今回のリフォームでその和箪笥を退かせば、いま寝室にある、私の普段使ってる箪笥がウォークインクローゼットに収まるで。ただね、そうすると今度はそのMちゃんの和箪笥を置く場所が」
「捨てましょう、和箪笥ごと」
みなまで聞かず言い切る私。申し訳ないが、60年近く前にここを去り、20年は敷居をまたいでいない人の衣類のお守をするつもりはないのだ。家を出た人たちは、それぞれの地で生活を営んでいる。きっとその先でまた捨てきれぬモノが生まれているだろう。
「Mちゃん怒らないかねえ。いっそぜんぶ送ってやるのはどうやろ」
「箪笥ひと棹分の着物を送りつけられたら怒り狂うと思いますよ(彼女の息子娘世代が)」
ひょこっと顔を出した義父が言う。
「もったいないで着物は売ったらどうや、テレビや新聞で、よう宣伝しとる」
「絶対にやめてください。ああいう業者は他に目的があるんです。いいですね、絶対に電話しないでくださいよ」
よしんば売れるとして、長い年月引き出しを開けてさえいない着物を引っ張り出し、業者を呼ぶなり持ち込むなりして一枚一枚査定を受ける…それを誰がやるというのか。私しかいないだろうが、さすがに御免蒙る。
がたついて上手く開かない引き出しを無理やり開け、念のため確認してみたら、Mちゃんのお着物は全て普段着であった。これを取っておいた先代のおばあちゃんの母としての心は尊重するものの、これで一区切りとさせてほしい。ひどく黴臭く、絶対に売れるようなものではないというのを見せて義父を納得させ、箪笥と共に廃棄決定となった。
納戸に嵌まり込んだもうひと棹の和箪笥を一瞥し、私に向き直った義母が珍しくはっきりした口調で言った。
「こっちのは私のやの。私の着物が入っとるんやわ。もう何十年も着とらへん箪笥の肥やしではあるけど。私が死んだらどう扱ってもらっても構わんのよ。でも、生きとるうちは取っておきたいわ」
「……」
ここまで私がバカスカと袋に詰めてきたが、柔和な義母にも譲れぬものはある。例え何十年袖を通していなくとも、これだけはという思いを理解したいと思った。
「それ、わっかりますわぁ…」腕組みして私は深く頷いた。
「そういうのはありますよね。手放したら後悔しそうなものは残しときましょうよ」
捨てる鬼と化した私に頭から否定されることを覚悟していたらしき義母が、ほっとしたように笑った。その後も、もう使わない鞄だの下着だのをどんどんゴミ袋に入れてゆき、ついに納戸の端に到達した。そこには大きなケースが3段重ねで置いてある。蓋を開けたら、茶碗、吸い物椀、湯呑がそれぞれ50人分入っていた。絶句している私達の肩越しに覗き込んだ義父が言う。
「茶碗も湯呑もとっとかなかんだろう(とっておかないと駄目だろう)、法事も人がようけ集まるで。料理出すときに要るやろ」
「「捨てますわ」」
私と義母、異口同音に大声が出た。
「法事も通夜も葬式も、いまどきは家でやらへんのです。うちの近所に幾つもできた葬祭センターで皆さんやってるでしょう。親戚もかなり減ったし、何かあったら仕出か料理屋に行くかですわ」
祖父母の葬儀を家で執り行い、へとへとに疲れた経験ある私達嫁姑。あれを繰り返してなるものか。これについての葛藤は、ふたりとも微塵もなかった。
まったくもう、と思いながら処分する衣類を古い箪笥から出している最中、ふと手が止まった。引き出しの底に敷き詰められた、古く茶色くなった新聞。吸湿の目的で、衣類の下敷にされたものだ。歴史的大事件が記してあるわけではないが、この地域に住んでいた人々の息吹きが感じられる記事。薬や雑誌の広告。眺めているだけでも楽しい。
文化財がこんなところにあったとは…
そっと取り出した。
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