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植物が枯れた日のルーティーン

生きている植物を相手に日々生活していると、どんなに頑張ってお世話をしていても枯らしてしまうことがあります。

大事にしていたつもりが、(いや、大事にしていたがために)水をやりすぎたり、肥料をあげすぎたり。
かといえば、『水やりは控えめに』のワードが恐怖を煽り、水やりをためらっているうちに、シワシワとしぼんでしまったり。

植物大好きな私にとっては、日をまたいで引きずってしまう大ダメージ。
何度もチャレンジしている子がダメになってしまうと、そのダメージは最高潮に達します。
「私は何をやってもダメなのだ・・・」と自尊心をえぐられ、まだまだ元気な子たちをお世話する意欲すら削がれてしまうのです。

そんなとき、あるルーティーンが私を救いました。

植物は自然の中で生きている

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植物を一生懸命育てていると、このことを忘れがち。
人も、一生のなかで予期しない出来事に必ずぶつかります。
乗り越えられることもあれば、手に負えずにつぶされてしまうことがあるのも事実。

・病気にかかってしまう
・蒸れてしまう
・虫さんにやられてしまう

このピンチを乗り切れる子もいれば、残念ながら乗り越えられずに命を果たしてしまう子もいます。
事前に知識をつけて育てていても、そこは自然相手。
枯れてしまうという結果になることも、確実に起こり得るのです。

地植えか鉢植えかに関わらず、枯れることは自然というルーティーンだということを知ったのでした。

だからといって割り切れない。そんなときは

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「それでもやはり、どうしても悲しみのループから逃れられない。」
そんな気持ちが襲うこともあります。

特に、連続して最愛の植物たちが枯れてしまったとき。
これ以上ないほどの脱力感に襲われてしまうのは、無理もないことなのかもしれません。

その気持ちを増幅させてしまうのは、慰みにと開いてしまったSNS。
植物大好きなだけに、日頃からフォローしているアカウントはグリーンにつながるものばかり。
綺麗な色合いで彩られた写真たちが、余計に心をざらざらさせてしまうのです。

「植物が枯れた日は、SNSから距離を置こう」

自己防衛のため、唯一自分でコントロールできる部分。
今では、植物が枯れた日のルーティーンとなっています。

自然の一部に寄り添うように、植物と向き合っていく

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考えてみれば、私も自然の一部なのです。
植物を愛でているようで、実は自然と共存しているだけのこと。

大好きな植物だって、私のちからで育っているわけではなく、ありのままの自然で、ありのままに生きている。

そう思うと、なんだか肩のちからがふっと軽くなりました。

ふと、枯れてしまったショックで放置していた植木鉢に目をやると、何やらほっそりしたものが・・・
私が悶々としている間にも、彼らは黙々と、まるで「はじめからそういうつもりだったのよ」とでも言わんばかりに、次の命を萌やしはじめているのでした。

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