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どのように生き、どのように死ぬ。について

去年家出したばかりの頃、読書の先輩に勧められて初めて行った眞踏珈琲店さんがアルバイトの募集をかけてた。いつもはお客様もしくは知り合いから取っているそうで、このような公開募集は初めての試み。
履歴書のほか、メモワールも提出していいですよと募集要項(?)に書かれていて。その言葉ひとつひとつから優しさが溢れていた。
正直、わたしは自己中心で24になってもふわふわしてて、いつも情緒不安定。わたしには眩しい世界だと思ってた。勿論、自分以外の人はみんな病まないとは思ってはいない。ただ、決してポジティブな人間好きとは言えないわたしは果たして接客業に向いているのか。
今までも接客のバイトや仕事を沢山してきた、自分を作るのは簡単だった。相手の話を聞くのも好きだし、人といると安心する。ただ……ただなんだろうね。自信が無いだけかもしれない。わたしが一方的に好きだとしても相手がちゃんとわたしのこと好いてくれてるか分からないから不安になったりするかもしれない。

仕事も恋愛も一緒だな。
でも昨日から変わろうと思ったの。自分をちゃんと知り、自分を愛するの。そしたら人を愛するようになれると思ったの。

前置きが長くなった。とにかくわたしはそのアルバイトの募集要項に書いてある「どのように生き、どのように死ぬ」を文字に起こすことによって何かが良くなるんじゃないかと期待した。

わたしは1ヶ月の半分以上は死ぬことしか考えていない人だ。それはただ辛くて生きたくないのではなく、生きたいから死を考えると思っている。人は死ぬ自由があるから生きる自由がある。そうだね、死ぬなら北欧でオーロラを見ながら死にたいかな。
好きな香港のバンドmy little airport の曲に書いてあった、29歳は北欧で凍死したいと。あの歌詞を聞いて以来、北欧で凍死するのが夢だった。
歌詞には世界一周してからフィンランドで凍死しようと書いてあったけど、別に世界一周はしなくていいかな。フィンランドよりノルウェイがいいな。なんちゃってハルキスト。
昔は好きな人と一緒に死にたいと思ってた。今はひとりで静かに亡くなりたい。好きな本に囲まれながら。別に全部読んだことのある本じゃなくてもいい、表紙が好きな読めない洋書だっていい。
そうね、死ぬ前は何かを形として世に残したい。文字でもいいし写真でもいいし、子供、はだめ。
あとはね、お花もいっぱい欲しい。墓の傍に。毒があって、綺麗な、あまり人気のない可愛いお花を置いて欲しい。かっこいい詞を墓に彫りたい。でも今の時代だと墓石は環境に良くなさそうだな。やっぱり海葬だな。人魚姫みたいな死に方も素敵。泡になるの。

次に生き方か。
CLANNADのような人生がいいな。穏やかで静かな幸せ。パン屋さんでも本が読めるカフェでも、小さなお店を構えたい。お店じゃなくてもいい、ちょっと広いお家に友達を呼んで珈琲やお茶を淹れてあげたい。
庭には檸檬の木がある。庭じゃなくてもいい、檸檬じゃなくてレモングラスでもいい。爽やかな香りがする植物が欲しい。動物と一緒に暮らしたい。犬でも猫でも…チンチラでも、縁があればお迎えしたい。
ちょっと皮肉だね、午前中に人の理想な一日について散々文句言ってたのに夜中に自分の理想な生き方を書くの。偉そうだ。あのコラムを書いた方、気を悪くしたらごめんなさい。

他に何を書こうか。
人に読んでもらう前提で書くと色々と迷い出す。気をつけないとつい嘘を書いてしまいそうでこわい。先週の日曜日に数少ない友人4人と一緒にミイラ展をみにいった。
ミイラの事は実はそんなに覚えていなくて、上野公園の銀杏の木と、銀杏の匂いのほうが記憶に残った。晴れた晩秋の午後、少し肌寒い風、眩しい太陽光と30分は待つだろうのスタバの列、大道芸人、踊る小さな女の子、情熱大陸のBGM…これが幸せなんだなと思う深夜、もしくは早朝、4時26分。

わたしは、
詩を読むことも、ミステリを読むことも好き。
ポエムを書くのも、小説を考えるのも好き。
苦しくなると献血に行く。
何もしたくない日は近所のインドカレーを食べに行く。
好きな映画は『それでも恋するバルセロナ』、当時付き合った彼とは今年別れた。五回目。
今も一体何がしたいか分からない、好きなことに関わるような仕事がしたいけど別にそうでなくてもいい気がしてきた。
絹豆腐のようなメンタル、と言いたいが落ちるところまで落ちるとすぐ回復するから回復力のある脆い何かいい喩えが無いかを探している。
出版社で働いてみたい、ホテルで働くのも好き、異空間のような環境に惹かれる。
願っても願っても叶わなかったものはこれから手に入ると信じたい。
恋がしたい。
実家のわんこに会いたい。
毎日8時間寝たい。

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