見出し画像

「留学」 1年 チェヨウォン

インカレまであと12日!

今日の担当は1年、チェヨウォンです。

今回は、私の留学の話をさせていただきます。
最後まで読んでくれると嬉しいです。


私は、中学1年生の時サッカーを始めました。
韓国は女子サッカーのチームが少ないです。私の住んでいるところは女子サッカーのチームがなかったため、家から遠いところに通うという選択肢しかありませんでした。

そのため、中学の時から寮生活を始めました。中学3年の時に私は、将来を考えたときに、今のままではサッカーも中途半端で、勉強の面でも不安を感じ、もっと多くのことを学ぶべきだと思いました。
そう考えたときに、日本に留学するという選択をしました。
全く日本語がわからないまま、高校1年生の時に鹿島学園高等学校に入学しました。中学の時から寮で生活をしていたので、高校も上手く行くと思ってました。しかし、他国での生活は想像より厳しかったです。1年生の時は、周りの人とのコミュニケーションを取ることが出来ず、学校では、韓国との文化の違いで怒られることが多かったです。しかし、怒られる内容も理解できず、自分が唯一覚えていた「はい」や「すみません」という言葉を言うことしかできなかったです。

授業にもついていけない、テストも100点満点中7点。

部活では、監督の話も分からず、チームメイトとも話すことが出来ず、サッカーが嫌いになりました。韓国に戻りたいという気持ちが大きかったです。
このままでは留学した意味がないと考え、日本語の勉強をしました。1年目の時、日本語能力試験(JLPT)という検定試験N3に合格し、2年目の時にはN2に合格しました。
部活でもコミュニケーションをとれるようになりました。話せるようになってからは、仲のいい友達もできました。試合に出ることも出来ました。しかし、順調にはいかず、練習や試合で自分がイメージしたプレーが中々出来なかったです。うまくいかない日は、存在感のない選手でした。うまくいかない日々が続き、怒られることも多くなり、涙を流すことも多くありました。フルで試合に出れないときもありました。結局、高校サッカーの最後の大会である全国大会でも自分がイメージしていたプレーができず、初戦で負けてしまいました。悔しい気持ちのまま引退をしました。
しかし、私にとって高校3年間は本当に大切な時間でした。高校3年間を過ごしたこの同期に出会えて、一緒にサッカーができて本当に良かったと思います。


 大学は、進学を決めるとき、日本大学の練習会でのいい雰囲気とサッカーに憧れて、日本大学で4年間サッカーをしたいと思いました。1部という高いレベルの中でプレーできることに感謝しています。練習、試合などで失敗しても、次!次!と言ってくれる先輩、同期がいたからこそ今の自分がいると思います。この出会いに感謝しています。これからまだまだできることはたくさんあると思います。今までお世話になった人に恩返しできるように、これからも頑張っていきたいと思います!


最後まで読んでいただきありがとうございました!

インカレでは4年生との最後の大会となります。チームに貢献できるように頑張りたいと思います。
これからも日本大学女子サッカー部の応援、よろしくお願いします!

明日の担当は、とても真面目ですが、コミュニケーション能力が高いというギャップを持つ油本明佳里 (1年) です!

明日も楽しみにしていてください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?