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私の14年間  4年 松田岬

インカレまであと6日!

こんにちは!

本日のブログを担当します。4年の松田岬です。
このような機会を頂くことも最初で最後だと思い、自分の思いをありのままに書きました。
少し長い文になってしまいましたが、最後まで読んで頂けると嬉しいです!

私のサッカー人生は、父に勧められて行ったサッカースクールで、行ったその日に「私サッカーやる」と言った所から始まりました。昔から体を動かすことが好きだったし、おそらくその時は進められたものが体を動かすことならなんでもやっていたのだと思います(笑)
今思えば本当にサッカーで良かった。お父さんありがとう。



小学校、中学校は男子のクラブチームでプレーし、高校では女子サッカー部のある三重高校に進学しました。
思い返すと私のサッカー人生には、決して輝かしい時などはなかったように思います。言ってしまえば、普通。もしくは普通以下でした。試合には出れていたとしてもこれといった活躍のできない選手でした。
男子のクラブチームでプレーできた期間は、正直良い思い出よりも苦しかった思い出の方が多いです。トップチームに上がれず悔しい思いもしました。でも何より女の子扱いされることが悔しかったです。同じように扱ってもらえるほどの実力がなかったのも事実でした。

中学に上がるとそれまで以上に周りから女子扱いされるようになり、影で何か言われているのではないかとそんなことばかり考えるようになりました。その結果なるべく目立たず、当たり障りのない返答だけしておこうとなりました。今思えばそんなことを気にせず自分から声をかけて輪に入れば良かったのに。
でもそんな経験をした私だから、今は初対面の人とでもすぐ打ち解け合い話せるようになりました。だからあの経験は私に必要なものだったのだと今になって思います。


高校に入り、3年生ではキャプテンを務めさせていただきました。キャプテンとして認めてもらえるようにと、毎日必死でした。たくさん自主練習もしたし、仲間ともたくさん向き合いました。こんなポンコツなキャプテンでしたが、それでも共に戦ってくれた仲間にはとても感謝しています。



私がここ日本大学女子サッカー部に来て目指したのは、「チームの中でこのポジションはその人にしか任せられない。」と思われるような、唯一の存在になることでした。結論から言うと、私は唯一の存在にはなれませんでした。

足元の技術が高いわけでも無く、足が速いわけでもない。身長も高くないし、身体能力が高いわけでもない。
そんな普通すぎる私が唯一の存在を目指したのは、そうなれた時には自分のことを認め、信じてあげられると思っていたからです。
日常生活では人との付き合いは苦手な方ではないし、基本的に誰ともでも仲良くなれるので、そこそこ上手くやってきました。

しかし、サッカーになると違いました。私は自分のプレーに自信が持てませんでした。常に他の誰かみたいになれたらと考えていました。そんなことを思いながら、サッカーをしていた時、立て続けに大きな怪我をしてしまい二度の手術をしました。結局復帰まで約2年かかりました。
あまり楽しめていなかったサッカーも、これだけ離れるととても苦しかったです。その時初めて気づきました。自分にとってサッカーがどれだけ日常の大部分を占めていたか。

みんながどんどん成長してしていく中、私は追いつくどころか、先も見えない。毎日の2時間の練習が長く辛い時間でした。そんな時支えてくれたのは、仲間、両親でした。いつもは厳しい父が、「お前はよくやっている。」と一言言ってくれたこと。そして、長く共に戦っていたリハビリの仲間が常に前に進もうとする姿を見て、やらないという選択肢はなかったこと。(サボりたくても、サボれない状況を作ってくれました笑)
本当に本当に感謝しています。


復帰してからは少しサッカーに対しての考え方、見え方が変わりました。サッカーに正解はないし、私には助けてくれる仲間がいます。自分にしかできないことを探して、そのプレーを磨けばいいのだと思うようになりました。その限界の範囲で自分自身がやり切れたのなら、それは自分を褒めるべきだということ。長いリハビリを乗り越えるということは誰しもが経験できることではないし、少なくとも私はこの長い時間を通して、強くなれたという自覚がありました。それを自信に変えれたことで、唯一の存在にはなれなかったけど、ほんの少しですが成長できた気がします。
もう一つ気づけたことがあります。


「日常の当たり前は、当たり前ではない」

ということ。
手術後約2ヶ月間は、車椅子と松葉杖での生活でした。その時思ったのは、普通に歩けるということ自体がどれだけ幸せだったかということ。サッカーが出来るか出来きないかしか見ていなかった私ですが、歩けることに有り難みを感じ、走れることに感動しました。サッカーのプレーで悩めるなんて、この上ない幸せなことでした。
生きていく上で、当たり前のことなんて一つもなく、今の私があるのは多くの人に支えられ、その上で私が成り立っていました。今年一年間、長期の離脱をせずサッカーが出来ていることも当たり前ではないのです。とてもとても幸せなことでした。それに気づけた自分を誇りに思います。

もうすぐサッカー人生最後の大会が始まります。
今まで支えてくれた家族が、大学生になって初めて試合を見にきます。最初で最後です。
怒ると世界中の誰よりも怖くて、でも誰よりも私のことを考えてくれている父。そしてどんな時も私の味方でいてくれて、1人の女性としてもとても尊敬の出来る母。
私の大好きな2人に4年間で成長した姿を見せたい。見せます。

正直今は楽しみより、緊張の方が勝っていますが、最後は自分のやりたいこと思いっきり出し切って、14年間よくやったと自分を褒めてあげたいです。

最後になりましたが、いつもたくさんの応援をありがとうございます。ここまで来れたのは紛れもなく、皆さん(日大family)の支えがあったからです。このチームを応援して良かったと思ってもらえるような試合をして、皆さんに感動を与えられるよう最後まで戦います。これまで通りの最高の声援をよろしくお願いします!!!!

長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

明日はチーム1の人格者であり、後輩からもとても慕われている4年髙橋明里です!
彼女の文章力はピカイチです!
ぜひご期待ください⭐️⭐️

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