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「人生の分岐点」 1年 青木若葉

インカレまであと14日!
今日の担当は1年青木若葉です。よろしくお願いします!

人は誰でも分岐点に立つ時があり、1つの道を選択しなければならないことがあります。
今日はそんな私の「人生の分岐点」について話していこうと思います。

私は3歳の頃サッカーを始めました。
きっかけは兄がサッカーを習っていたから。というよくあるパターンです。
そこから小学3年生まで地元にあるサッカースクールに通い、小学4年生になると「サッカーで上を目指したい」と思うようになりました。
けれど私の地元には女子サッカーをやる環境がなかったので、少し離れた地区で活動しているチームへ入団しました。そのチームは県内のトップレベルの選手が集まっていて、地元のスクール程度でサッカーをやっていた私にはとてもついていけるような環境ではありませんでした。
そこで初めて本当のサッカーを知ったといっても過言じゃないでしょう。小学6年生になりやっと試合に出れるようになりました。

ただただサッカーが楽しかった。
そんな時期でした。

中学校進学と共に、私は人生最大の分岐点に立ちます。自宅から徒歩1分の地元の中学校に行きクラブチームでサッカーを続けるか、中高一貫の私立の学校に行きサッカー部に入るか。その選択でした。
私立の学校は電車で片道2時間、寮に入れない為通うしかありませんでした。親には反対され、右も左も分からない小学6年生の私には正直どうする事もできなかった。
そんな中、私は「私立の学校でサッカーをする。」と決断しました。願書提出ギリギリの朝まで悩み、泣きながら小学校に行ったのを今でも覚えています。

その選択があったから今の私がいる。
この道を選んで悔いは無かったです。

朝5時に起きて学校に行き、部活をやり22時過ぎに家に帰ってくるという生活を中学・高校と4年間続け、高校2年生の時に寮が増えた為、残りの2年間は寮生活を送りました。家ではご飯を食べてお風呂に入り寝るだけ。そんな毎日でした。
今思えばそんな自分を褒めると同時に少し馬鹿なんじゃないかと思うくらいです。

大変すぎる6年間だったけど、最高に楽しかった。同じ仲間と沢山泣いて喧嘩して、喜んで笑い合って。大切な仲間に巡り合えた私はとても幸せ者でした。一生大切にしたい。そんな仲間です。

大学選択で、また分岐点に立ちました。
サッカーを続けるか、辞めるかの選択でした。
正直、大学では好きな事をして女子大生らしい生活を送りたい。そう思ってました。
けれど私からサッカーをとった生活が思い浮かばなかった。サッカーが大好きだったからです。バイトができない、髪を染めれない、そして寮生活。
そんな規則がある事が分かっていながらも、私はこの大学でサッカーを続ける選択をしました。

今は毎日が楽しいです。オフは週に一回しかないし、朝から掃除があるし、部屋は5人部屋だし。
厳しい生活だけど、だからこそ毎日が充実している。高いレベルでサッカーをすることが出来て、
とても幸せです。

私は分岐点に立った時、自然と困難な道を選んでいました。どの選択が正解かは誰にもわかりませんが、自分の行動次第でその選択をして良かった。
そう思える人生に変えることができる。
私はそう思っています。

そして、ここまで自由に道を選ばせてくれた家族には1番感謝しています。いつもありがとう。

最後まで読んで頂き有難うございました!
引き続き、日本大学女子サッカー部の応援よろしくお願い致します!

明日の担当は前髪パーマをかけすぎちゃった?チームのムードメーカー、曽雌佑香(1年)です!
お楽しみに!

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