【おはなし】塔の街のヌーとモモ (完)

「とりあえず、夏の服やお布団だけ持っていけばいいわ。冬のは、また取りに来るなりしましょう。でなきゃ、部屋がしっちゃかめっちゃかになりそうよ。」

私は額の汗をぬぐってそう言った。
すでに、今この部屋がしっちゃかめっちゃかだ。引っ越しの準備がこんなに大変だとは思わなかった。何せ、生まれてからずっと生活していた家だ。やたらと色んな物がある。
私は収集癖があるのかもしれない。綺麗な空き瓶や、珍しい石や、カラフルなボタンや、何かの部品など、ついつい取っておいてしまう。それらを見ているとつい、これも持って行きたいなぁ と思ってしまうが、いやいや、だめだめ、と首を横に振って、ダンボールから取り出す。そういうことをさっきから何度もやっている。

「なんせ、新しい家は狭かったわ。キッチンなんておままごと用かと思ったもの。一人暮らし用の家って、あんななのねぇ」

ついつい、ひとりごとを言いながら、せっせと持っていくものを箱に詰めていく。ミシン、は置いていくか。アイロン、これは持って行こう。

コンコン、とノックする音が聞こえた。
母がドアから顔を覗かせる。

「きぬよちゃん、これを持って行ったら。キッチンの古いものいれから出てきたのよ。」

その手には、木でできたお皿が二枚乗っていた。アカシアの良い色をした可愛らしいお皿だ。

「それ、素敵ね。初めて見たわ。そんなの、持ってたかしら。」

「一度も使わず、しまってあったのよ。これ、仕切りがついていて、便利そうよ。持っておいきなさいよ。」

私は少し考えて、お皿を受け取った。こんなお皿で、一人暮らしの朝ごはんを食べるのは素敵だ。コーヒーをいれて、パンを焼いて、たまには卵焼きやウィンナーも食べよう。

「それと、こんなものも出てきたわ。」

母は、もう一つ私に手渡した。
それは、古びた赤い帳面だった。

「なにかしら?これ?」

「クローゼットの奥から出てきたの。」

「何だって、そんなところから。」

「さぁねぇ。そういえば、昔、お父さんが亡くなってすぐのころかしら。あなた、少しの間、一体どこに行ったのか、居なくなってしまって。家の中も、近所のどこにも、見当たらなくて、私ずいぶん探したのに、ふと、クローゼットのお洋服をかき分けて見たら、その奥であなたがぐっすり眠っていたことがあったわ。」

「そんなこと、あったかしら……」

「ふふふ、でもほんの少しの間よ。それでも、お母さん、お父さんが亡くなって、あなたまでいなくなったらどうしようかと、べそをかきながら探したのよ。」

なんだか、そんなことがあったような、でも夢の中の出来事だったかのような、不思議な感じだ。
赤い帳面を裏返してみると、擦れて、ほとんどの文字が消えかかってはいるが、私の名前らしきものが、アルファベットで書かれていた。

「お母さん、私がここを出て、一人暮らしするの、寂しくない?」

「そりゃあ、ちょっと寂しいし、心配だけど。でもあなたが、一人で立派に生活していくのを、お父さん見たら、きっとすごく安心するわ。だから応援する。」

「うん。私もそう思うんだ。」

「それに、モモがいるから、そんなに寂しくはないわ。」

階段の下から、ちょうどニャァァーンと長い鳴き声が聞こえた。どうやら、モモが夕食を催促しているようだ。時計を見るとちょうど五時だ。モモは、いつも食事の時間に厳しいのだ。

「少し休憩しない?紅茶を入れてくるわ」

そう言って、母は部屋をあとにした。

私はその赤い帳面を膝の上に乗せて、しばらく撫でた。モモを膝に乗せて、背中を撫でている時のように、心地よくて優しい気持ちになった。そして、しばらく考えて、私はそれをダンボールには入れず、部屋の本棚の隙間にぎゅっと埋め込んだ。


fin.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?