【おはなし】塔の街のヌーとモモ⑨
ep.9 本当のはなし
「きみに本当のことを教えてあげよう」
モモはヌーをじっと見つめてそう言いました。
「本当のこと?」
ヌーが聞き返します。
モモはうなずいて、ヌーに椅子にかけるよううながしました。そして自分も隅から木箱を引き寄せてきて、二人は向かいあうように座りました。
「きみは、いつからこの街にいるんだい」
モモは尋ねます。
ヌーは一心に記憶をたどってみましたが、どうしてもいつからここにいるのか思い出せないのでした。モモや他の仲間たちと過ごしたことは思い出せるのに、それより昔のことを考えると、あの日記帳を読み返した時のように、頭がぼうっとして、真っ白になるような気持ちがするのです。
「どうにも、思い出せないの」
モモは黙ってうなずきました。
まるでそれを知っていたかのようでした。
「この街は生きている」
それは、前にヌーも聞いたことがありました。塔のような形をしたこの街は、大きな樹のように少しづつ大きくなっているのだと。
「生き物なんだ。扉や、家や、階段を増やしたり、無くしたり、形を変えながら成長する。」
「だから、よく道に迷ってしまうのよね」
ヌーは初めてモモに会った時のことを思い出しました。その時も道に迷っていたのです。
「生き物は、栄養を取らないと生きていけない。ぼくや、きみも、毎朝パンを食べるだろう。街も同じことだ。街は、なにを食べると思う」
ヌーには全く見当がつきませんでした。そんなことは考えたこともなかったのです。
「人だ。街は人を食べるんだ。」
「人、ですって?」
「そう。でも、もちろん、ぼくたちと同じように、というわけではない。
街は、他の世界に住む人間……何か辛いことや悲しいことがあって、そこから逃げてしまいたいと思っている人を引き寄せて、自分のなかの住人にしてしまう。元いた場所の記憶を忘れてしまうように、穏やかで素敵な暮らしを与えて、そうしてすっかり街の一員にしてしまうんだ。そうやって住人を増やす事で、街は生きている」
ヌーは、にわかには信じられない話でした。
それは何だかとてもおそろしいことのようで、本当のこととは思えませんでした。しかしモモが嘘を言ったことはこれまで一度もありませんでしたので、何も言葉にならず、ただ黙っていました。
「この街には、そんな風にしてほかの世界から来た人がいるのだろう。ひょっとすると、ぼくもそうなのかもしれない。本人も、他のみんなも、忘れてしまうから、もはや分からないけどね。でも、君は間違いなく、そうだ。他の世界から来て、今、この街の住人になりかけている」
「私が、この街の住人になりかけている…」
ヌーは繰り返して口に出すばかりでした。
「街は早くきみを住人にしてしまおうとしている。その日記帳が無ければ、もう、とっくにそうなっていただろう。でも、今ならまだ戻れる。きみの元いた世界に。」
それは、いったいどこなのでしょう。
ヌーは何があって、この街に来たのでしょう。
「戻れば、もうモモに会えなくなるの」
「そうかもしれない。それに、何か悲しく辛いことがあった世界に戻らなくてはいけないということだ。だから、きみがこのまま全て忘れて、この街の住人になるというのなら、それでも良い。それなら、その日記帳を捨ててしまえばよい」
ヌーはいやでした。自分はこれからもずっとこの街にいて、モモやみんなと変わらない暮らしをしていくのだと、そう思っていたのです。
「わたし、この街が大好き。ずっとここにいたい。」
ヌーはいつの間にかぽろぽろと涙を流しておりました。
「そうだね。ぼくもそうだ。
この事に気付いているのは、ぼくだけだ。ぼくは、黙っていて、君が何も知らないままこの街の住人になればそれで良いと思っていた。でも出来なかった。
きみはいつも素直で正直だ。きみに嘘はつけなかった。だから、話した。
よく考えて。戻れるチャンスは今だけなんだ。ヌーは、本当にそれで良いの」
ヌーは赤い日記帳をぎゅっと握りしめました。頭の中をぐるぐると色々な思いがめぐっています。
モモは待ちました。やがて暗くなって、ヌーの姿が見えなくなります。
街は死んだように静まり返っておりました。耳が痛くなるほど静かな夜でした。
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