戦後のゴジラ、その続きは

ゴジラ-1.0を鑑賞した。

かつての戦争のすぐ後の日本に現れたゴジラというヒトの理解を超えた存在、
久しぶりに現れた凶暴、かつ残忍なゴジラ

そのサイズ感、身長50メートル余りということもあって足下で逃げ惑う人々との対比も残忍さをよりリアルにしていた。

これは巷間言われるような反戦映画なのだろうか? 果たして作り手は、反戦メッセージを込めたのだろうか?そもそも、そのメッセージは必要なのだろうか?

確かに、神木隆之介は素晴らしい。

かの1945年に終わった、8年あまり続いた戦争は、人々が望まない戦争だったと整理する向きも多いと思う。

しかし、だからと言って、かつて戦争に従事した人たちが、「今度は死ぬことがあったとしても、国に強いられて死ぬのではなく、自ら進んで国を救うために命を懸ける」、とゴジラ掃討に赴いたとして、彼ら彼女らの生き残ってしまった負い目や家族や戦友を失った悔しさ、悲しさが癒やされたのだろうか?

過去は変わらない。

日本はアジア諸国と大陸、太平洋で戦争を行い負けた事実を受け止めて前に進んだのだと思う。そこに歴史を顧みてゴジラという破壊する者に癒やしや何かを取り戻そうという自己への憐憫を仮託するのは違うと思う。

良い映画とは思うが、ゴジラが壊し、暴れ回るシーンが物足りない。

やはり、破壊する者、ゴジラの存在感としてはよく比較の対象となるシン・ゴジラには及ばないと思う。また、目指したところも異なっているのかもしれない。(そもそも破壊する者としてのシン・ゴジラは完結していないように思える。)

ゴジラ-1.0、久しぶりの日本製ゴジラだと少し力み過ぎではないでしょうか?いっそモンスターバースの主役たる存在として暴れ回るUSゴジラの方がエンタテイメント、怪獣映画らしくて入りやすいと思いました。

余談だが、生来新しいものが好きなのでIMAXフォーマットで鑑賞したが、ちょっとした衝撃音でビクッとしてしまった。大きな音が苦手な人は要注意かもしれない。


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