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若者のすべて#2

結局、“あの人”は5組だったらしい。

5組は学校一のマドンナ(とその取り巻き)、誰からも愛される秀才くんや、ジュノンボーイ系イケメンなどスクールカースト上位者が名を連ねるキラキラクラスだ。(と私は思っていた)

一方私のクラス2組は、学校一の問題児(とその親友)、チャラ男(のちに仲良くなる)、小学校6年間同じクラスの腐れ縁幼馴染など、何とも言えないメンツばかりで、開始1週間足らずで絶望した。
クラスが嫌すぎて2日ほどズル休みしたくらい、つまらないクラスだった。

時を同じくして、家庭内の環境が悪化し始める。
父の浮気、嫁姑問題、母の事業失敗などなど、いくつものことが重なり家庭内の争いが頻発するようになっていた。

学校もつまらない、家もしんどい、誰かに吐き出さないと潰れてしまうと思った私は、ケータイのアドレス帳から話を聞いてくれそうな人を必死に探した。

黙って話を聞いてくれて、この辛さをわかってくれて、口が堅そうな人。

見つけたのは“あの人”だった。


勇気を出してメールをしてみると、“あの人”はただただ話を聞いてくれた。
「辛いときはなんでも聞くよ」と言ってくれた。

そして、いつしかメールの中ではお互いを特別なニックネームで呼ぶようになって、ただの「好きな人」から「特別な人」になっていたのだった。

BUMP OF CHICKENが好きだと言ったらCDを焼いてくれて(本当は“あの人”がBUMPを好きだったから、私も好きなふりをした)、そのお礼に修学旅行で行ったTDLのお土産のストラップを渡したりもした。
(なぜ同じ中学なのにお土産?と思うかもしれないが、ランドかシーかは自由選択制で、私はランド、“あの人”はシーに行っていたから)

でも“あの人”が私のことを好きかどうかは全く分からなかった。

相変わらず誰誰が“あの人”を好き、という噂は聞いていたし、“あの人”は◎◎さんが好きらしいというのも耳に入っていた。

けれど、私は“あの人”に告白した。

確証はなかった。でも、今がチャンスだ!と思って、長いメールのやりとりの最後に「好きだから付き合ってほしい」というようなことを言った。

振られても、後で誤魔化るようにさらっと、冗談っぽく。

“あの人”の返事は「ちょっと考えさせてほしい」だった。

ちょっとってどれくらいだろう?
明日?一週間後?などと考えていたら眠れなくなり、次の日は学校をズル休みした。
頭が痛いと嘘をついて。

そしてその日の夜、返事が来た。


さってそのお返事は・・・?#3へ続く。


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