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インド旅行記⑦(アールティ・プージャで感じた孤独)

2023インド旅行記:目次はこちら

(前回のあらすじ:この日は午前中に散髪でボられて、午後にタブラ工房でタブラを購入。その後タブラを持ち帰る際にリクシャーでまたボラれかけたけど、何とか回避。無事タブラを持ってゲストハウスに帰ってきた。)

とりあえずタブラを部屋に入れて、少し触って喜びを噛み締めたら、また外に出る。その辺りをブラブラして、お店の人と交渉してチロムを買ったり、後はタブラを練習する時の気持ちの依り代として、やや大きめのハヌマーン像を買ったりして過ごした。
しかしこの大きめハヌマーン像がまた曲者で、大事に柔らかいものにくるんで日本まで持ち帰ったのだが、いざ開梱してみると服の裾の所が折れていた。それはまぁ仕方ないのだが、何だかバッグの中がやけにザラザラする。よく見ると、ハヌマーン像の折れた裾のところから大量の砂が出てくるではないか!!買う時は「重いししっかりした像だな」と思ったのだが、何のことはない只のハリボテで、中に重しの砂が詰まってるだけでした。折れた部分は瞬間接着剤で綺麗にくっつきはしたものの、一度出てしまった砂を戻すことはできず、えらく軽くなってしまった。しかしまぁこのしたたかな感じもまさにインドらしい気がして、何となく気に入って自宅のタブラ練習場所の正面の棚に飾ってます。それに気持ちの依り代にするなら、中心に空虚があるくらいが丁度いいのかもしれませんしね。

棍棒をもって山を掲げているポーズのハヌマーンはよく見ますね。

そうこうしているうちに夕方近くなってきたので、いざガートへ。今日はこれから、ガンガー沿いで毎晩催されているというシヴァ神を讃える祭礼行事「アールティ・プージャ」を観に行こうと思う。

大通りの交差点(ゴドーリヤ)からダシャーシュワメード・ガートに向けて歩いて行くと、縁日のように道の両脇に実店舗や露天、屋台、物売りが所狭しと立ち並び、本当に日本のお祭りに来たような賑わい。そんな中にも、身体に不自由があって物乞いをしている人や、簡単な物を売ったりシヴァ神のモチーフを顔にペイントしたりして稼いでいる子供たち、或いは素性の知れないサドゥーや暇そうな牛たちが入り乱れている。物乞いをしている人達の中でも、より生活が大変そうな人を選んで小銭を渡しながら(自分は何様なんだろう)歩いてゆくと、まだプージャまで1時間近くあるのに、会場であるガートは既になかなかの賑わいっぷり。押しつ押されつしながら、電灯の土台に登ることでようやく見通しが良さそうなポジションを確保できた。

周りの人々もほとんどがインドの方で、外国籍っぽい人はあまり居ない。高台にお金を払うと座って見ることができる席があると聞くので、観光客やお金を持っている人はそちらに行くのかもしれない。あたりにはシヴァ神を讃える歌が、電灯横のスピーカーから大音量かつエンドレスで流れ続けている。

お年を召したお爺さんお婆さんに働き盛りのお父さんお母さん、そして元気に走り回る子供達といった家族連れなんかが、せわしなくプージャが始まるのを待っている。その間を物売りたちが練り歩き、子供達はおもちゃを両親にねだり、お母さん達はお買い得なポーチを手に取って買うかどうかを決めあぐねている。
良いなぁ。皆それぞれにそれぞれの生活があって、きっと皆それぞれの生活に寄り添う形でヒンズーの信仰を持っているのだろう。そんな中で、日常の中のハレの舞台として、家族でこのバラナシを訪れたのだろうなぁ。
ふと自分も子供の頃、両親やもう死んでしまった祖母と一緒に、毎年夏には花火大会に行っていたことを思い出す。あの花火大会も、もう今ではやっていないらしい。

みんな楽しそうにしてたなぁ

開始時刻が近づいてくると、加速度的に人の密度は激しくなり、私の聖域たる電灯の土台にも子供が2人ほど登ってきた。まぁ子供2人くらいなら共存はできそうだ。背の高い西洋人のお兄ちゃんも隣にきたが、彼はこの陽気の中で、黒いパーカーなど着ている。見るからに暑そうだし、何か思い詰めたような目をしている。大丈夫だろうか。

しかし相変わらず人混みの中を物売りが頻繁に行き交っているが、その中で、お盆に蝋燭を立てて練り歩く子供達がいる。どうやらそれはガンガーの霊験あらたかな火ということで、お盆に小銭をお供えすることでそのパワーを分けて貰うものらしい。人々が小銭を乗せては、浅草寺のように煙を頭にあおぎかけている。しかし気になるのは、この人口密度の中で、覚束ないお盆の上に火の着いた蝋燭を立てて、背の低い子供がそれを抱えて歩き回っているというところだ。マダム方は皆ひらひらした燃えやすそうなサリーを纏っているし、ちょっとしたバランスの崩れが恐ろしいことになるのではないか。

こういう子が何人も行き来してた

しかしどうもそんなことを気にしているのは私くらいのようで、インドの皆さんはスレスレのところを火が通っても、誰も気にも留めていない様子。これが偉大なるシヴァ神を信奉する者と、それ以外の者達との違いなのだろうか。そんな様子をずっと眺めていると、間違っているのは自分の方で、これだけ幸せそうにしている彼らには、未来永劫そんな恐ろしい事なんて起こらないような気がしてくる。

信仰を持たない自分も、何か偉大なものを感じずにはいられなかった。

ガンガーの水面にもプージャを河上から観る人達を大量に載せた船が停留しだして、待ち人達もそろそろ痺れを切らしだした頃、夕方特有のにわか雨がザッと降りつけた。観客達は思わぬ大粒の雨に晒されたかたちになるのだが、その瞬間、観客からシヴァ神を讃える「ハーレーハーレー!シーヴァ!!」という歓声が大音量で巻き起こった。

先般、現地在住の知人に「このあたりのインドの人々にとって雨というのは自然の恵みの意味合いが強く、雨が降ると彼らは喜ぶ」という話を聞き、失礼ながらほんとかなぁと訝っていたものだが、これはどうやら本当だったようだ。それに彼らの教えにおいては、この眼前を雄大に流れるガンガーもシヴァ神の巻き髪から流れ出しているというから、遥かなるガンガーに注ぐ雨もまた、シヴァ神の遥かなる威光を示すあらわれだと理解するのも、至極自然なことなのかもしれない。

ハーレーハーレー!シーヴァ!!

そうこうする内に、いよいよアールティ・プージャが始まった。
川岸に立った5人ほどの聖職者達が火の着いた燭台や香炉を振り回し、何度も何度もガンガーに向かってお祈りを捧げていく。確かに夕暮れに煌めくガンガーの水面は大変幻想的で、薄紫色に色づく空も大変素晴らしかった。しかしヒンディーの分からない私のような者からすると、何度も何度も同じような祈りの儀式を繰り返すのを見ているのは、正直なところ退屈だった。私の知識不足に起因することは間違いないが、あの2時間ほどの儀式においてどんな物語があり、どんな経過を辿って儀式の完了に至ったのか、非ヒンズーの私には全く読み取れなかった。
じきに辺りも真っ暗になり、黒パーカーの西洋人の兄ちゃんも序盤で早々に帰ってしまった。自分も、「バラナシまで来たのだから最後まで見届けるのだ」という半ば義務感のような気持ちで電灯の土台をキープし続けたが、最後まで見届けたところで私が感じたのは、やはり自分はヒンズーを信じる者ではないのだ、という強烈な実感だった。

火のついた燭台をグルグルしたり
団扇を使ってお祈りしたり

確かに彼らの熱狂的な信仰のエネルギー、先程の夕立ちの際の盛り上がり方なんかは信じられないほど強烈だったが、やはり私がそこに混じることはできないのだ。このヒンズーの聖地バラナシで、今ここに居る大多数の人々とは違い、私はヒンズーの民ではないという頑然たる事実。一昨日タブラのレッスンを受けた時にも感じたことだったが、北インドにおいて音楽が神への祈りとして重要な意味を持つのだとすれば、一体私は自分の演奏に何を込められるのだろうか。そこに私なりの信仰に似た願いを込めるのでなければ、決して彼らのように魂の籠もった素晴らしい演奏はできないのではないか?

プージャも終わり、花火大会の終わりのように各々が上気した様子で満足気に家路へ向かう中、私は独り、どこまでも孤独だった。

最後はやっぱり皆で「ハーレー!ハーレー!シーヴァ‼」

バラナシといえば一日中遺体を荼毘に付しているガートも有名で、明日あたり行ってみようかなとも思っていたのだが、これだけガンガーのことを敬い、ヒンズーの神々を信じて死んでいった人達が、最後の最後でガンガーと一つになることを願う真摯な営みを、自分が興味本位で覗きに行くのは何だかひどく失礼なような気がして、やめてしまった。

プージャ終わりの人波に乗って、今度は繁華街を逆方向に歩いていると、とあるサリー屋さんでは店内に牛が入ってきてしまっていて、店主はカウンターに座り、諦めたように牛にパンをあげていた。牛はシヴァの乗り物でもあり重要な神様なので、誰も牛たちの為すことを邪魔することはできない。もし牛が道の真ん中で休んでいたら、我々はいかにそれが邪魔だろうと、彼が動き出すのを待つより他ないのだ。ここバラナシでは、埃立つような生活と熱心な信仰が、ひとつのものとして棒立ちで生きられている。

横で普通に買い物してるのもスゲぇな

熱に浮かされたようにお土産屋が並ぶ繁華街をそぞろ歩く人々の中で、とりあえず入ったレストランでチョウミンを頼む。ここで食事をしている人々も、皆とても楽しそうだ。そういえば昨日もチョウミンを食べた気がするが、考えごとをしながら席に着くと半ば反射的に頼んでしまっていた。このお店のチョウミンはかなり薄味だが、添えられた酸味のあるソースを混ぜるとおいしい。

ふと気付くと、向かいの席に日本人と思しきおじさんが一人で座っている。お互いに何となく気を遣って距離を測っているような感じだったが、この時の私はこの疎外感を、日本人と日本語で話すことによって紛らわす気には、どうしてもなれなかった。

このベジチョウミンはたったの40ルピー(≒70円)でした

はるばる辿り着いたここインドはバラナシまで、結局のところ、私はインドの人々とは違う、ということを確認しに来たのだろうか。「旅とは、既に知っていることを確認しにいく過程に過ぎない」と看破したのは、ドゥルーズとガタリだっただろうか。改めて突きつけられた事実にやや失望しながらも、しかし一方で、「ここからでないと始まらないものがあるかもしれない」という微かな光が、心のどこかに芽吹いているような気もした。

(インド旅行記⑧に続く)


プージャを待つ人々
凄く豪華なクルーザーも何艘か見に来てました。すぐに通り過ぎて行ったけど。
雨除けにヘルメットを被ってる子もいた。確かに顔は濡れないかもしれないが…
ガートへの途上にあった何かスゴそうなモチーフ

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